みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

白洲次郎の言葉

 

4月になったら武相荘 https://buaiso.com/mailmagazine/春展に行こうと友人と約束していた。ところがまさかの新型コロナ緊急事態宣言。「武相荘」のホームページをチェックしたところ

 「・・・武相荘はコロナ感染拡大防止の為、国・都からの要請に従い、先月20日より閉館しております」。そして6月2日から開始する夏展のスケジュール案内の下に、次の文があった。

 

       次郎の言葉より

吾々の時代にこの馬鹿な戦争をして、元も子もなくした責任をもっと痛烈に感じようではないか。

日本の経済は根本的の立直しを要求しているのだと思う。恐らく吾々の余生の間には、大した好い日を見ずに終るだろう。それ程事態は深刻で、前途は荊(いばら)の道である。然し吾々が招いたこの失敗を、何分の一でも取替えして吾々の子供、我々の孫に引継ぐべき責任と義務を私は感じる。

 

私はこの文を読んで、今の日本を指していると錯覚し一瞬頭が混乱した。しかし次郎とは白洲次郎のことだから、75年前の敗戦のことをいっているのだ。

「武相荘」館長の方はどういう思いで、次郎の言葉を載せたのだろう。敗戦時に白洲次郎が感じた痛切な感情は今に通じる。それにしても日本はなぜ敗北や失敗を認め、生まれ変わることができないのだろう。私が常々感じている疑問。

 

白洲次郎はイギリスに留学し、友人知人がいる米英連合国相手に戦争をしても勝ち目が無いことを知っていたし、開戦に反対だった。いずれ空襲で焼け野原になり、食糧難になることを予想し、都下の鶴川(現在の町田市)に移り住み、百姓をはじめる。しかし田畑を耕す合間に、戦争を終結させるべく、吉田茂、高松宮、近衛らと会合を持ちながら東条を倒すことを画策していた事が記録に残っている。

 

私が白洲次郎のことを知ったのはかなり遅い。白洲正子の考え方と生き方に興味を持って、著書を読むうちに夫の白洲次郎のことを知った。次郎について書かれた本を読んで、何てカッコいい人なんだろうと驚いた。容姿もさることながら、進駐軍・マッカーサー、官僚相手に遠慮することなく言うべきことはいう。そして運転手や職工、旅館の仲居さんなど下積みの人たちに、礼儀をもってやさしく接したため慕われたという。

 

さて敗戦を乗り越え経済大国となった日本だが、富裕層や与党政治家の中に、白洲次郎や吉田茂のように、身の危険を顧みずに国難に立ち向かった者がありやなしや。

「サムライ日本」というが、明治以前の侍(サムライ)魂とは、「にっぽんスゴイ」と浮かれ、天狗になる輩とは一線を画す。

              

 

鉢植えのグレープフルーツの木 昨年はミツバチが来なかったが、今年は連日花の蜜を吸いに来る。昨年は樹が若かったので、実が大きくなる前に落下。今年こそは・・・

 

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