みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

さくらさくさく

 ほんとうに春がきた。農協自販店に行ったら、菜花、セリ、わけぎ…春の食材が山のようになっていた。せり、わけぎと、菜花のなかで一番味がよいというノラボウ菜を買った。これはスーパーには並ばない地場野菜だ。わけぎは毎日のように食べている。ほっそりした白い部分、青い部分はやわらかな緑が美しくほれぼれする。炒めてもうまいがサッと茹でただけで、やわらかく甘い。春の触感。急に陽気が春めいてから、幸せ感が増した。週半ばにはいつものメンバーでお花見、何を持って行こうか、今からうきうきした気分。
 日本の国是が独裁政治によって替えられようとしている時に、束の間の幸せを享受していてよいのだろうか。うっかりほんねをいえない空気、それぞれに不安や怒りがあるだろうに、往きあう人たちは何を考えているのだろう。

 金曜夜は、報道ステーションに古賀茂明氏が出るんだった。とテレビをつけたら、しょっぱなから古賀さんが自分の思いをぶつける展開で始めたので、頭が真っ白になり、胸がどきどきしてしまった。
 破天荒なやり方が良かったのか、悪かったのか何ともいえないが、マスコミ、メディアが報道の呈をなしていない異常な状況下における、自爆ゲリラといえなくもない。江川紹子子さんがツイッターで「公共の電波で、自分の見解を伝えるという貴重な機会を、自分の個人的うらみの吐露に使っている人を見ると、なんとももったいないことをするのか…と思う」と書いていたが、それはちょっと違うのではないか、個人的なうらみという次元の話ではないだろ。
 国民の過半数集団的自衛権の行使、原発再稼働に反対である。今朝のNHKニュースだったか、東京オリンピックのさいにテロの危険性を感じている人が85パーセントだったか、かなりの高率で、不安を感じていることがわかる。
 集団的自衛権を拡大してアメリカにくっついて戦争に参加することは、原発を五〇基以上抱える日本にとって、覚悟を迫られることだ。そのことをマスコミはスルーしている。政権が国民の声に耳を傾けないどころか、天皇皇后皇太子が誕生日会見というぎりぎりの機会に、現憲法、特に9条あっての日本を守ろうという意思をひたすら表明しているのに、これもきちんと報道しない。おかしな選挙制度はすぐには替えられないというという閉塞的で、なすすべがない状況下で何もおきないのも異常なのだ。