みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

お正月とはよいものだ

元旦は田舎で、両親や弟たち家族とおせち料理を食べ、にぎやかに過ごした。
甥、姪の職場の過酷な労働環境に話題が集中する。姪は毎晩帰宅が9時半から10時、土曜日も顧客廻りのため出勤、日曜日は身体を休め、家事をして終わり。
甥は日付が変わらないと帰宅できない毎日。二人とも金融関係の正社員である。福祉の職場に勤める甥は夜勤だ。給料が安いので正月手当ての出る夜勤を希望したのだ。
孫たちの過酷な、職場・労働環境に、老いた両親はショックを受けていた。二人とも公務員だったから、無理もないが。少子化というが、これでは若い人が子どもを生んだり、育てることはできないよね。

それでも過酷な状況をサカナにワイワイ盛り上がり、経済、景気、政治の話題が飛び交い、暗くはなかった。姪がインターネットで株が大衆的になって手軽に買えるようになったことはよいことだ、株が一部の人たちに独占され、密室化することよりも。といっていた。株はわからない私だが、そういう見方もあるのかとおもしろかった。



昨年は戦後60年ということで、「東京大空襲」からはじまって、あの戦争とは何だったのか、戦争関係の本を手当たり次第読みまくった。どっぷり近・現代史に浸かった。正直、もういいー。という感じだ。
無謀とはわかっていながら誰も「ノー」とは言えず、曖昧なまま始まってしまった太平洋戦争。敗色が濃くなっても、若者を無駄死にさせ、全国の都市を街を焦土化させ、原爆を落とされなくては戦争をやめられなかった無能な指導者たち。
では軍部ばかりが悪かったかというと、国民は戦争を支持し、熱狂し、一億玉砕を信じて協力した。それなのに敗戦になるや、鬼畜米英と目の敵にしていたマッカーサーを神のごとくあがめる。それがマッカーサーアメリカに帰国し、日本を12歳の子供と語ったことがわかると、マッカーサー熱は急速にしぼむ。これが私たち日本人の国民性なんだ!
単細胞の私は、当時生きていたら同じようなことをしていたかもしれない。

あの戦争の総括も反省もきちんとされないまま、今も無責任体制を引きずっていることに、ぼう然とする。過去に背を向ける国は滅びるしかないと、半分あきらめた。カナダか北欧あたりに脱出したいが、英語もできない身では、後のあきらめない半分でこの国で生きていくしかない。

昨年は過去に徹底的にこだわったので、今年は前を向いていきたい。