みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

梅雨の晴れ間に

久しぶりに泳ぎたい といっていたムメさんがとうとう泳いだそうな。
中途失明してから、泳いだことはなかったのが、何十年ぶりかで水着を着て、ガイドヘルパー2人に付き添われて、公共の温水プールに出かけた。
ガイドヘルパーの一人は押入れの奥からやはり昔の水着を引っ張りだした。もう一人は男性で、こちらはトライアスロン常連の鉄人だ。
背泳が得意といっていたムメさん、25メートル泳げたんだって。

大正14年生まれのムメさんはどこで泳ぎを覚えたのだろう。この年齢で泳げる女性はそうはいないと思い聞いてみた。ムメさんの生まれ育った山の手の小学校にはプールがあったんだ!

私は戦後生まれだけど、田舎の小学校にはプールがなかった。男の子は用水路で遊びながら泳ぎを覚えたが、私は泳げないままに成人した。子供が生まれてから、子供と一緒に水泳教室に通って泳げるようになったのである。

ムメさんは子煩悩な父親に連れられ、葉山や湘南の海に行っていたそうだ。
そろそろ日中戦争の影がさしはじめ、軍国主義へ向かう時代。ムメさんが少女から大人になる頃の話を聞きたい。
ムメさんの天真爛漫さ、視力障害者になっても常に前向きに生きる姿に周囲の者は勇気づけられる。高齢者も様々だが、良くても悪くても学ぶことは多い。