みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

高木仁三郎さんを偲ぶ

NHKスペシャル「想定外の揺れが原発を襲った」を見る。
原発の現場にいる人間と、現場から離れた本社の組織の上にいる人間の表情、言葉の違いを画面から感じた。組織の上にいる人間は、組織の人間としての言葉しか話さない。

地震の揺れは想定外というが、日本は地震国で大地震は必ず起きることになっている。以前、原子力資料室の故高木仁三郎さんの反原発出前講座を聞きに行ったことがあるが、かなり前から大地震原発の危険性について警告していた。だから、今回の地震のニュースが入った時も、私は原発がどうだったかと真っ先に気になった。
早く原発を写して、といらいらしながらニュースを見ていたが、テレビカメラが原発に向かったのは火災が起きてからと記憶している。

これから国内の原発活断層を再チェックするそうだ。東海地震震源地である静岡県浜岡原発を、莫大な費用をかけて耐震補強するといっているが、地震の巣の上に原発があることが間違いだ。でも東京電力も、国も間違いを正そうとしない。


高木仁三郎さんは東京大学理学部化学科を卒業。日本原子力事業株式会社に入社し、原子炉内での核分裂生成物の研究に従事していた。退職しその後大学の研究者となったが、1975年、民間の原子力資料情報室の発足とともにその世話人となり、市民的立場にたつ科学者として、脱原発運動に献身的に取り組んだ。国際的な賞も受けられたが、ガンのため60代の若さで2000年10月亡くなられた。
高木さんが生きていたら、今回の柏崎刈羽原発地震被害、浜岡原発の耐震補強について何とコメントしただろうか。
私たち市民は原子力の専門的なことはわからない。高木さんは市民側に立って考え発言する稀有な科学者、専門家だったのだな、と彼の柔和な笑顔とともに思い出した。