みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

「後期高齢者」万歳

kawanomiti2008-07-05

我が家は糖尿病の家系だ。今までは血糖値は基準以下だったが、食事がおいしく2キロ太ったら、境界型に近づいた。コレステロールは常に基準以上、ただ善玉コレステロールが多いので、薬などは飲んでいない。

最近のMRI検査で、肉眼で見える脳梗塞の痕が左右に1箇所ずつ見つかってしまった。医師に深刻に考えた方がよいといわれ、食生活を改めることにした。
卵、肉、甘いものを減らし、魚、大豆製品、野菜中心の生活へ。といっても好きなものをあきらめるのは難しい。それでも検査の1週間前から気をつけるだけで、コレステロールは基準値内に治まった。

ふだん意識しない生活習慣を見直すだけでも違うものだ。今朝はカレーの残りとご飯、それと定番のサラダを食べた。玉葱はスライサーで薄切りにし、湯剥きしたトマトとベランダのバジルを摘んで載せるだけ。今日はゴマドレッシングで。


新しい顧客で、85歳の男性はインスリン注射が必要な糖尿病患者だったが、今は改善してインスリン注射はしていない。家を訪ねてその秘訣がわかった。
玄関前にニガウリの緑のカーテンがツルを伸ばしていた。毎日ゴーヤ茶を飲んでいるから、インスリン注射が必要なくなったというのである。
ニガウリが糖尿病に効くというのは何年も前からいわれていたが、それが医学的にも証明されて、薬が開発されるという新聞記事を最近読んだ。
ニガウリは農薬なしで育つ。緑のカーテンとして緑陰を作り、花は甘い香りを漂わせ、実は丸ごと薄切りして干せば、保存の利くゴーヤ茶となる。その苦味のある味は夏の暑さを吹き飛ばす。

老夫婦は毎日ニガウリのツルの誘引に忙しい。建物が密集する東京の繁華街だから、ウッカリするとツルは隣の家に伸びて行く。こういう時活躍するのが以前使っていた釣竿で、高い所のツルを自分ちの方に引き寄せる。小さなゴーヤの実がいくつか葉陰に見え隠れしているが、老夫婦は気が付かない。
「どれどれ」「オトーサンここにもあった」。二人とも腰痛持ちで、夫の方は心臓も悪いし、やっと歩いているが、頭は認知症の気配すらない。特に妻の方の記憶力、頭の回転の早さ。介護保険についても理解し、私の方がタジタジとしてしまう。二人でお店を切り盛りしていただけあり、気さく。大会社で偉かった男性のようにえばったところがない。「後期高齢者の鏡」のような二人だ。


もう一人の「後期高齢者」、大正6年生まれでもうすぐ91歳になる女性の場合も驚きなので紹介したい。彼女は正真正銘の認知症である。毎日デイサービス(通所介護)に行っているが、それを認識することも、記憶することもできない。トイレの場所も忘れる。6年前、脳に2〜3cmの腫瘍が見つかったが、高齢なので手術をしないで経過を見守ることになった。3年前は4×5cmと倍の大きさに成長する。

一緒に暮らすお嫁さんのことだけはわかる。お嫁さんといるのが一番安心するのだ。認知症以外は、杖もつかずに歩き、食事も自分で食べることができる。生きてきたように呆けるというが、彼女はよい育ち方をしてきた人らしく、礼儀正しく、他人に対して気遣いが細やかである。私はもう2年以上定期訪問しているが、いつ行っても「どなたさまでしょうか。いつかお会いしたことがあるでしょうか。私はバカですから」といわれる。
お嫁さんは長い介護に精神的に疲れている。夫を看取り、続いて姑の介護がお嫁さんひとりの肩にかかった。そのお嫁さんにも介護保険証が届いた。もういい加減自分の老後のことを考えなくてはならない。

91歳の女性は半年ぐらい前から、自虐的な言い方が増え、興奮しやすくなった。
ショートスティ利用中に片手にマヒが出現、MRI検査をしたところ脳腫瘍が7×6×7cmになっていた。
医師はこれから、寝たきりになりターミナルは近いと診断。今まで入院せずに在宅で過ごしてきたのだから、今後も在宅で看取ることを提案した。まず訪問看護を入れて、必要になったら在宅診療をスタートさせると家族に告げた。

さて、その後91歳の女性はどうなったかというと、いつの間にかマヒが消え、あいかわらずデイサービスに通っている。医師は前例がないと驚愕し、ターミナルの話は保留になった。
家族が医師から聞いた話では、高齢の上に認知症で脳に隙間があるため、脳腫瘍がその隙間にうまい具合に入り込んで、マヒが消えたのではないか。それしか考えられないというのだ。
高齢の場合、ガン細胞は増殖をやめたり、ガンを抱えたまま寿命を全うすることがるということを聞く。しかし、7×6×7cmの腫瘍というのは半端な大きさではない。しかも脳という閉じられた臓器の中の話だ。数年で2倍の大きさに成長したということは、今後も腫瘍は成長し続けるのだろう。
彼女の脳は今後どうなるのか。人体の不思議、生命力の凄さに驚く。
後期高齢者といってもみな事情が違う。その違いを身を持って、その丸ごとの生活の中で「生きること、死ぬこと」はどういうことなのかを教えてくれる。