みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

司馬遼太郎「昭和という国家」

影絵さんお薦めの本、「昭和という国家」を読んだ。
NHK教育テレビで司馬遼太郎が1986(昭和61)年から話したのを本としてまとめたもの。番外編として田中彰氏の感想、番組担当者の制作余話があったことでより深く司馬史観というものが胸に落ちた。実は私は司馬遼太郎の本をほとんど読んでいない。それは明るい希望に満ちた明治という司馬史観に違和感を感じ、何となく敬遠していたのかもしれない。
吉村昭の本は好きで読んでいた。朝日新聞に連載された「天狗争乱」や「彰義隊」は、自分が茨城県出身なので、特に印象に残っている。歴史の廻り舞台から追われる者の悲惨な姿を見届ける目、事実をひたひたと追う吉村昭の書き方に共感を覚えた。
この「昭和という国家」を読み、自分が司馬史観について無知であったこと、もっと早くに読めばよかったと後悔した。
最近、30代前半の甥と話す機会があり、南京虐殺の死者数や、冷凍餃子の問題などを見ても中国は信用できないと言い、昭和の十五年戦争についてもやむをえなかったと、少なからず肯定するのを聞いてショックを覚えた。日本も経済高度成長期にはもっとひどい公害事件があったこと。日本と中国の歴史をもっと長いスパンで見る必要性を甥に話した。田舎の父も甥と同じようなことをいっていたが、老いも若きも歴史認識がどうなっているのかと危うさと不安を覚えた。昭和の戦争を美化し、肯定する歴史教科書がいくつかの自治体で採択されている。司馬さんの歴史小説はブームとなり、もてはやされているようだが、司馬さんの昭和の戦争にいたる歴史への憤激、悲しみはどれだけ国民的に伝わっているだろうか。
この「昭和という国家」を甥や田舎の父に手土産にして薦めようか。司馬さんの著書なら、父に素直に手にしてもらえるかも。

さて、2005年12月24日のこのブログにも書いたが、平成天皇72歳の誕生日の「お言葉」は、6月に行ったサイパン慰霊の旅を踏まえて、過去の戦争や歴史に向き合う真摯な姿勢がうかがえ感銘を受けた。 
「日本は昭和の初めから終戦までほとんど平和なときがありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは、日本人自身にとって、また、日本人が世界の人と交わっていくうえにも極めて大切なことと思います。 戦後60年になって過去の様々な事実が取り上げられ、人びとに知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により、過去の事実についての知識が正しく継承され、将来にいかされることを願っています」。
天皇が毎年繰り返し、過去の歴史を検証し、学ぶ必要性をメッセージとして発信しているのに、天皇の心民知らずというべきか。