みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

子規庵

小春日和を通り越す陽気の昨日、子規庵を目指した。
鶯谷で降りて、根岸に向かって歩く。徒歩8分、地図で見るとすぐのはずが、迷路に足を踏み入れてしまった。どの路地もラブホだらけ。道を尋ねようにも人影はないし、たまに歩いている人がいても言葉をかけにくい。
やっとのことで、子規庵の玄関前に出た。
「坂の上の雲」のロケはもう行われたのか、まさか子規庵がラブホ街の中にあるなんて、だれも想像しないだろう。私もがっくりきたが、なんか笑える。
昭和20年4月15日の空襲で子規庵も含めて、この辺は焼失したとある。
ここでも空襲は古くからある町並みを破壊し、のっぺらぼうなコンクリートの街にしてしまった。
でも子規庵の中に入ると、自然と明治時代にタイムスリップする。夏目漱石、森鴎外、わが郷土の歌人長塚節らが座り、句会や歌会の開かれた部屋。なんと贅沢な空間だろう。
ヤツデや秋草に覆われた庭がなつかしく、ほっとする。
他に人がいないのを幸いに、正岡子規が庭を眺めたように、畳の上に寝て庭を眺めてみた。糸瓜(へちま)の棚を通して青空が見えた。
「仰臥漫録」などを読むと、壮絶な病状でありながら、正岡子規の旺盛な食欲に圧倒される。最後まで創作欲を失わず、生き切った35歳の生涯は凄い。子規庵の庭を眼に焼きつけた。