みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

年の瀬の贈り物

 今年1年もいろんなことがありました。つらいこともうれしいことも。

 6年目に入った私のパソコン、動きが悪く毎回強制終了しなければならない。新宿に出たついでにビックカメラを覗いて、本当は見るだけにするつもりだったが、結局買うことになった。若い店員が一生懸命誠実に説明しているのを見ると断れない。今使っているのと同じNECの、テレビ機能のつかないデスクトップ型、画面は17インチ位が希望だったが、残念ながら大画面になった。
 支払いを済ませてから福引の場所まで案内される。箱に手を突っこんで紙を取り出して渡すと、「2等賞で〜す」と鳴り物入りで、賞品のタジン鍋が手渡された。福引に当たるなんて久しぶり。とんがり帽子みたいなフタのついたタジン鍋は関心があったのでラッキーだった。一人用で電子レンジで使うタイプ。魚や肉の切り身と野菜を入れて、電子レンジで6分も加熱するとできあがり。簡単でヘルシー、重宝している。

 

 役所の御用納め28日の夕方、生保(生活保護の略)担当の女性職員が会社に挨拶に見えた。
 所長や責任者のいる前で、「今年一番がんばった人」と私の名前をいった。 え! 何で私が? 頭が混乱する。私は無理をすると身体に支障が出るので、人並みにバリバリ働けない。受け持ち件数を少なくしている分ていねいにできるが、当然稼ぎは少ない。会社ではいわば窓際の人的存在。利用者や家族は頼りにしていてくれるので仕事は続けているが、記憶力の低下を自覚し、いつ引退しようかと思案中だ。
 生保の担当者は、私が受け持っているBさん(70代女性)の名前を出し、「Bさんの歩いているところを見たわよ」。といった。「病院まで一人で歩いて行けたのでびっくりしました」と私。Bさんは一人暮らし、亀のように背中が曲がり、腰痛に苦しんでいる。家で座っていることが多いため、足の筋力が衰え転倒することが多かった。要介護2で介護保険のサービスはヘルパーによる生活援助(掃除や買い物)とデイサービス、介護用ベッドのレンタル、週1回介護タクシーで整形外科に電気治療に通っていた。
 このままではますます歩けなくなる。そこで訪問リハビリを入れて、腰の痛みをやわらげるケアを行いながら、少しずつ歩行練習に持っていくことをBさんに勧めた。Bさんは午前中から焼酎を飲む人なので、そう簡単に事は運ばない。幸い、若く熱心なリハビリの専門家(OT:作業療法士)が、Bさんの状態に応じて柔軟に誘導してくれたため、杖をつきながら少しずつ屋外歩行ができるようになった。
 介護タクシーでの通院は必要なくなり、ヘルパーのサービス回数、時間も減らすことができた。Bさんの生保の担当者は、このことを評価したのだ。彼女が私の仕事をきちんと見ていてくれたことがうれしかった。
 彼女はケアマネ(民間業者)に丸投げしないで、ケアプランをチェックし、効果がないサービスは打ち切るようにとハキハキものをいう。それがBさんをして「打ち切られたら大変」と、リハビリに奮起させたのだと思う。彼女は「今年一番がんばった」といってくれたが、今さらながら生保担当者とのコンタクト、訪問リハビリとの連携があったればこそ、だったことに気がついた。彼女のエールは無形の勲章みたいに、ずっと私を支えてくれるだろう。


 先だってNHKで生活保護の受給者の増加で危機的な状況の大阪市の問題が取り上げられていた。私も生保の方を何人か受け持っているので、関心を持って見た。
 たとえば私の場合、65歳になった時もらえる年金は、生保に支払われるお金にちょっと上乗せしたくらいの額だ。ということは医療、介護保険の費用は全額公費で支払われるから、金銭面から見れば生保の方がましなのである。番組にもあったが、利用者負担はないから過剰診療、過剰サービスが横行している。
 大坂市の例を見ても、働いて得る賃金よりも生保のお金の方が良いとなれば、働く意欲がなくなる。貧困ネットワ−クの湯浅さんがいってたように、生活保護制度だけで貧困問題を解決しようとすることに無理があるのだ。

 来年も大変な年になりそうですが、少しでも希望が見える年でありますように。みなさまも良いお正月をお迎えください。私はこれから煮物の続きをします。