みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

2010年 クリスマスの日に

両親のリクエストで、田舎に帰る時は煮物を作って持っていく。正月は何にしようか。

イトーヨーカドーに午前11時に買い物行くと、食品売り場は混雑していた。スーパー業界はおしなべて売上げ不振で、イト−ヨーカドーも店舗数を削減するらしい。特に衣料品は不振という。たしかにイトーヨーカドーユニクロに品質、デザイン、価格の点で負けている。
 食料品は業績が好調らしい。普段はそれほど安くはないが、広い店内のスペースを生かし、産地と提携して魚や野菜を特売する日を設けるようになってから、店内に活気が出た。
 今日はキムチの材料で足りないのを少し買った。アミの塩辛を前はデパートまで買いに行ったが、いつもあるとは限らないので、最近はイカの塩辛で代用している。
 店の前の駐輪場で自転車を整理しているオジサンに、年末は幾日まで営業しているか聞いた。31日までというので、「え! 元旦から営業って張り紙があったけど。ということは休みなし?」 オジサンは苦笑いして「休みなしなんだよ」。「それっておかしくありません? 元旦くらい買い物しなくたっていいじゃない」。オジサンは肯くように笑った。
 何でそんなに従業員を働かせるんだ。と、自転車の整理しているオジサンにいっても仕方がないこと。

子供の頃、元旦にお年玉をもらい、近所の店に凧や玩具を買いに行こうとする私たちに、祖父は「元旦は小遣いをつかわないんだよ」といった。元旦はご飯を炊いてはいけない。お風呂をたててはいけないという家もあった。たぶん掃除や洗濯もしちゃいけなかった気がする。大晦日までに大掃除をすませ、おせち料理も作り終える。
 正月は新しく買ってもらった足袋や下駄をはいた。朝、門松や裏庭にある氏神様に雑煮の餅の小さく切ったのを供えてから、家族で元旦の祝いの膳を囲む。半世紀以上も過去の伝統をそのまま受け継ぐ必要はないが、1年の始まりの節目の元旦くらい、普段とは違う生活をして気持を新たにするお正月という風習はよいものだ。
 世の中全体が正月くらいのんびりとおだやかに過ごせるように、そうできない人々に思いを馳せられる社会でありたい。

今朝の新聞に、腰痛に泣かぬ介護職へ という見出しで、器具を使う北欧式学ぶ 働き手を守り離職防止 という記事が載った。
 介護保険制度がスタートした時、これからは家族ではなく、社会が介護の受け皿となる。民間が競争し切磋琢磨して進化し、多様な介護サービスを選べる、というキャッチフレーズが踊った。しかしながら民間事業は金を稼がなくてはならない。他所の事業所でやっているからといわれ、歩けない高齢者を負ぶって階段をおりたり、危険な仕事でも引き受けてしまうのが日本の介護労働だ。
「北欧ではそうではない」ということ自体が言えない空気。精神主義でがんばり、身体や精神を壊す人が後をたたない。戦時中もいくらでも替わりはいると、人の命は軽かった。それが経済のグローバル化とかで、相変わらず働く人の命、生活がないがしろにされている。それに対して、声を上げられない現場、若い介護労働者を支援し育てようという利用者の声が聞こえないのが悲しい。