みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 寒椿

kawanomiti2015-02-08

 
 わが鉄筋長屋の入口のそばに、時々不要になった物が、よかったらどうぞというふうに、並べられる。先週は桶にたくさんの椿の枝が入っていた。桃色の小さな蕾は乙女椿か。なつかしい気持ちで一枝いただいた。あまりに蕾が固いのでうまく咲くかとあやぶんだが、日当たりの良い南側の窓辺に置いたら、少しずつ蕾が膨らんだ。
 田舎の親戚の家の前に今も大きな乙女椿の木がある。その家の娘たちはみな器量良しで、年ごろになると嫁の引く手あまたであった。娘たちの母親は早く亡くなったため、父親は従妹であるうちの祖母を頼りにした。祖母が複数の候補者を選り分け、お引き取り願うのに大わらわであったことを、乙女椿の花を見るたびに思い出すのである。その娘たちも古希・喜寿を過ぎ、昨年父の葬式で何十年ぶりかに会ったが、名乗られるまでわからなかった。

 今日はNHK日曜討論を見た。政治家の討論はいうことが決まっていて、うさん臭さが先にきてしまうのでめったに見ない。出席者 岡本行夫藤原帰一、黒木英光、吉岡明子氏。今回は中東情勢に詳しい人たちの討論なので、冷静に実証的に話しているので、納得できることもあった。岡本氏以外は、中東支援は従来の中立的な人道支援の範囲以内で、難民支援を重点的に進めた方が国益にかなうという意見だった。
 ならば今回その方針を越脱して、イスラム国を包囲する陣営側に支援を表明したとされる、安倍首相の中東歴訪の演説の中身や意図について言及してほしかった。人質を救援するための交渉中は非軍事的人道支援だと、強調するしかなかったかもしれないが、イスラム国や外国ではそう受け取らなかったとしたら。検証が必要でしょ。
 安倍首相は「日本人に指一本触らせない」と豪語したが、外国で働いている日本人は誰も信じないでしょう。国内的に見ても、テロの侵入を防ぐということは至難の業、それなのに「テロには屈しない」など強気の発言を繰り返し、挑発する首相に、はらはらするのは私だけかしら。

 江戸・明治期の日本をこよなく愛する司馬遼太郎は、晩年の著書『「昭和」という国家』で、昭和初期から、特に昭和10年から昭和20年までの日本は、魔法にかかったとしかいいようがない、魔法の森のような時代であったと苦渋にみちて語っている。


「…「統帥権」つまり天皇の軍隊指揮権というものが日本国家を占領し、統帥機関である参謀本部があらゆるところに手を伸ばし侵略を始めた。中国を侵略し、仏印に入っていき、さらに太平洋戦争を始めて、世界中と戦争するような、そんな信じがたいことをやったのですが、どこにも必然性はありません。要するに、軍部がやりたいからやったとしかいいようがないのです。
…国というものを博打場の賭けの対象にする人々がいました。そういう滑稽な意味での勇ましい人間ほど、愛国者を気どっていた。…」 ここまで引用

 現天皇が「…満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思います」といわれるように、行け行けどんどん軍事侵攻を拡大させ、泥沼の戦争に突き進んでしまった。その先にあるのは破滅しかないのだから。