みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

絶望も希望も

外は夏祭り、盆踊りの最中だ。私は行かないが、やぐらの解体の当番が待っている。

・「断絶の世紀 証言の時代」 徐京植高橋哲哉
・「プリーモ・レーヴィは語る」 マルコ・ベルポリーティ編
の2冊を続けて読む。

私がプリーモ・レーヴィという人の名前を知ったのは数年前のことだ。徐京植の出演したプリーモ・レーヴィを訪ねる旅をテレビで見てから気になっていた。
プリーモ・レーヴィはイタリア出身のユダヤ人、レジスタンスに参加している時、ナチに捕まり、アウシュビッツ収容所に送られる。職業が化学者であったこと、ドイツ語が理解できたため収容所内の化学工場で働き、幸運にもガス室送りを免れ生還できた。

生還してから化学者として働きながら、収容所の体験を本にした。ノーベル平和賞も受賞している。化学者らしい冷静な観察、思考、どんな時でも希望を失わなかったことが読む人に感銘を与えた。
しかし1987年トリノで突然死んだ。警察は自殺と断定した。アウシュビッツを生き延びたのになぜ? 

戦争の記憶、被害者と加害者の断絶、筆舌にしがたい収容所の体験が人々に伝わらない。プリーモ・レーヴィの深い悲しみに共振する徐京植の姿が心に残った。
「レーヴィは収容所にいた時から、囚人たちが毎夜同じ悪夢に苦しめられていたと報告している。無事に生還して地獄での見聞を物語っているのに、そして懸命に警告を発しているのに、だれも真剣に耳を傾けてくれないという悪夢である」
暴力と記憶の破壊はいつの時代でもあったが、それをナチスは大規模に行った。
ある収容所のナチス親衛隊員が「自分たちが戦争に負けて、おまえが生き残ったとしても、何百人も虐殺したなどという話をだれも信じやしない」と傲然と言い放ったという話がある。
プリーモ・レーヴィは語る」マルコ・ベルポリーティ編 を読んでいると、プリーモ・レーヴィは悲しみと怒りは底にあるにせよ、冷静でおだやかだ。自殺したというのは間違いで、事故だったのではないかと思える。
プリーモ・レーヴィが死ぬ9ヵ月前にインタビューしたリーザ・ソーディはレーヴィがとても生き生きと熱く語ってくれたと書いている。レーヴィが落ちた階段の手すりはとても低かったから、バランスを崩して落ちた。つまり真相は不慮の事故だったとしている。
これが「断絶の世紀 証言の時代」徐京植高橋哲哉著 ではレーヴィは自殺と確信して対話が進行する。「プリーモ・レーヴィは語る」マルコ・ベルポリーティ編を読んだ後では、徐京植高橋哲哉の徹底対話は、重たく悲観的に感じた。靖国十五年戦争歴史認識を巡る日本のひどい状況を踏まえれば当然かもしれない。
ただ大多数の人々は文学者や研究者ではない。つらいこと、考えてもどうにもならないことは考えないものだ。日々の生活とはそういうものだ。

茨木のり子の詩「ある一行」に、ハンガリーの詩人の引用があった。
「絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい」
絶望といい希望といってもたかが知れている うつろなることでは二つともに同じ