『散るぞ悲しき』
初秋らしいさわやかな朝だ。洗濯をすませ、自転車で農協に地場野菜を買いに行く。
早く行かないと売り切れてしまうので。ミョウガとアオジソ、ナス、ピーマンを買った。
『散るぞ悲しき』 ー硫黄島総指揮官・栗林忠道ー 梯久美子著
2005年7月30日発行 新潮社 作家の阿川弘之が激賞していたので読んだ。
硫黄島は休火山の島で、硫黄の臭いと火口の熱気がこもる、湧き水もない雨水が頼
りの悪条件の地だ。進撃してくる米軍は圧倒的な兵力、物量である。守ってくれる
飛行機も何もない戦争末期、太平洋の防波堤として島を死守せよとの大本営の無謀
な命令で、死ぬために送られた日本軍守備隊。
総指揮官の栗林中将は、およそ日本軍人らしからぬ合理的な思考の持ち主で、そ
れがために東条に睨まれて、誰も行きたがらぬ硫黄島守備に抜擢されたのではない
かともいわれている。アメリカに留学していたために、アメリカと戦っても勝ち目
がないと開戦に反対だった。軍人として、米軍の日本本土上陸を少しでも遅らせよ
うと、最後の最後までゲリラとして抗戦し、米軍を怖れせしめた。普通総指揮官は
敵地から離れた場所で指揮するものなのに、最後まで兵士ともに戦い玉砕した。
3月9日、翌日の日本陸軍記念日に東京に大空襲をかけるために、サイパン、グアム、テニヤン飛行場からB29が飛び立つ。硫黄島に日本軍が苦労して築いた滑走路に、東京空襲帰路の損傷を受けたB29が次々に着陸した。硫黄等はB29搭乗員の命を救うことに貢献した。
その時、下の洞窟では栗林中将以下兵士がボロボロになって苦しい戦いを続けていた。栗林中将の絶望はいかばかりであったか。
3月16日、総指揮官栗林中将は玉砕を目前に大本営に決別の電報を打つ。
最後の戦訓電報は、戦争指導者への理路整然とした批判文であると同時に、今こ
の時も命を落としつつある将兵を代表しての抗議文であったのである。と著者は書
いている。最初から最後まで涙なしには読めなかった。
今日読んだこの『散るぞ悲しき』は単なる戦争ドキュメントではなく、今につな
がる考察であり、私にとって「戦後60年」の総仕上げ的な意味を持つ内容の本であった。著者は1961年生まれの戦後世代のライターである。多くの人に読んでもらいたい本だ。