みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

続 「小田急線で」

9月21日の小田急新百合ヶ丘駅の人身事故をめぐって、yozakuraさんからコメントをいただき、単なる伝聞からもう少し踏み込んで考えることができた。
気になりながらもそのままにしていた事実関係を小田急に問い合わせて確認した。
(詳細は9月22日のブログに追記)

今や鉄道自殺はニュースにならないほど、日常的な現象なのかもしれない。訓練された職員が迅速に事故処理をして、電車は通り過ぎる。乗客は電車の遅れが大したこともなかったことに内心ほっとして、この電車に身体を轢死させた人がいたことなど忘れる。これが私たちの日常だ。

田舎の自宅に近い県道はカーブの大きな坂だ。私が子どもの頃、小学校低学年の女の子がその坂でトラックに轢かれた。もう何十年も前のことだ。女の子の遺体はムシロをすっぽり被せられてそのまま道路に放置されていた。おそらく事故の検証のためだろう。
小さく盛り上がったムシロを見て、近所の人たちが「かわいそうに」といっていたのを今でも覚えている。学校では交通安全の意識を渙発するためか、先生が黒板にどういう状況で女の子が轢かれたのか図で説明した。
不慮の事故で命を絶たれた者、に限らず死んで行く者は、本人は意識しなくても、生きている者に無言のメッセージを残す。人が死ぬということ、死への畏れが昭和30年代までは濃密に暮しの中にあった。