みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

田舎へ

kawanomiti2006-05-05

                                                                      写真 坂野家 長屋門
3日の夕方田舎に着いた。母が山藤がきれいだよ、という。家の裏の急な坂(崖」を降りて田んぼ道を通り、山(雑木林)に向かう。田植えが終わったばかりの谷戸を緑の薫風が吹き渡る。
山は淡い黄緑に染まり、ところどころに山藤の薄紫が縦に絵筆で刷いたように交じる。パステルカラーの色調が清々しい。後から母が降りてきた。キ、キと鳴く声に「雉だ」という。コジュケイ、一番元気に鳴くのがウグイス。だが姿は見えない。

母が谷戸の緑の向こう側を案内するという。実は谷戸に面した小高い雑木林は中がえぐられ産業廃棄物処分場だ。今は満杯になって土で覆われている。その盛土の下の小川は赤茶けた色に澱んでいる。いったいこの色の正体は何だろう、といつも覗き込む。
一人で歩くのが怖いほどうっそうとしていた雑木林はコンクリートの工業団地に変わっていた。化学工場にパン工場、高い囲いで覆われた敷地は新しい産業廃棄物の捨て場のようだ。これらは実家からは雑木林が衝立の役目をして見えない。
工業団地で下働きをしているのは外国人労働者たちだ。谷戸を散歩する村人の中には彼らと出くわすと、怖いものを見たような表情をしてコースを変える人がいる。
20数年前、最初の産業廃棄物処分場が出来ると聞いた時、母たちは「シートで覆うから大丈夫だって」といっていた。忘れ置き去りにされた山が、金を産む。高齢化が進む農家にとっては、働かなくてもお金が転がり込む。山の持ち主の一人である親戚は家を新築した。そうこうして雑木林は姿を変えた。

勤めをやめた後、母は父と共に60代は海外に旅行し、70代前半は国内を北海道から沖縄まで観光した。腰痛に悩まされる母は、俳句に親しみ、今足元の里山の魅力にはまっている。

昨日は両親と常総市大生郷にある坂野家住宅国指定重要文化財にタクシーを呼び出かけた。
坂野家はこの地方の大地主で惣名主、徳川時代中期に行われた新田開発にかかわり財をなした。市は平成10年に建物と屋敷地を譲り受け、歴史的建造物とそれを取り巻く風景ごと保存する風土博物館として整備した。
母屋の解体修復が終了し、4月から一般公開が始まった。坂野家住宅 と一帯の風景は、映画やテレビのロケ地としても知られている。実は私は坂野家住宅が国指定重要文化財 として指定されたことを知らなかった。たまたまNHKの連続時代劇藤沢周平原作「蝉しぐれ」を観ていた時も、最後の字幕の坂野家住宅を見落としていた。当時の新田開発について知りたくて、風土博物館 坂野家住宅のホームページにたどり着いた。
そう、坂野家の17代当主を私は子どもの頃から存じ上げていた。父に連れられて遊びに行ったこともある。両親とその頃の記憶をたどりながら、現在風土博物館となった坂野家住宅を見学した。周囲の風景とともに保存されたことに感動した。私は江戸東京建物園も好きだが、この水海道風土博物館の規模、内容もそれに劣らないすばらしさを感じた。この中に建物と風景にマッチした茶店、食堂ができたらいいなあ。


今年の大型連休は天候に恵まれ、私にとって最良の休暇となった。両親とゆっくりした時間を過ごし、親孝行ができた。両親とこのように心を通わせることができるとは、以前は考えもしなかった。


    写真  山藤                 写真  水海道風土博物館