みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

鰯雲が流れている

ベランダ仕事。バジルの残骸と緑のカーテン(ゴーヤ)の蔓を外す。
プランターから根っこを取り除くのが一仕事だ。ここに生ゴミをボカシで処理したものを埋めて、来年まで寝かせる。
空には鰯雲。「鰯雲が流れているよ〜」という歌の一節が口をついて出た。林光作曲だったかな。新聞テレビは北朝鮮の核実験で空騒ぎだけど、テレビをつけなければ静かな秋の光と空気に満ちている。

小梁川 洋(こやながわ ひろし) さんから著書をいただいた。「是天なり命なり」平成15年刊 三月書房 
日露戦争時、敵中深く爆弾を抱えて入り、見つかり銃殺刑になってハルピンの原野に散った横川省三について書いた小説。

小梁川 洋さんが小学生(国民学校)の時に、やはり日露戦争に従軍したお祖父さんから聞いた話がヒントになっている。
お祖父さんは、日露戦争時はまだ天皇陛下のために死ねとはいわれていなかった。憎らしいロシアを叩きのめすというのが合言葉だったといったという。
そういえば、私の田舎でも明治時代は半ば公然と、農家は徴兵逃れのために方策をこらしていたらしい。そりゃ、農家にとって働き手を取られるのは困る。当時の軍隊では脱走や規律違反も珍しくなかったというのもありえそうだ。

主人公はかっこよくも立派でもないが、熱い心根の、その辺にいそうな日本人。最後はまぬけで哀れだった。そういう主人公に親愛感を持ち、等身大に描いた作品に、東北での教師時代、綴り方運動に関わったという小梁川さんの原点を見るような気がした。


「陸海軍人に賜りたる勅語」が出たのが、いつなのか。どのあたりで御国のため、天皇陛下のために死ぬことが美徳であり、軍人にとって至上命令になったのか。
明治から大正、昭和の戦争に至る時代、日本では国家的、組織的にどのように洗脳が行われたのか興味があるので、「是天なり命なり」
おもしろく読んだ。
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