みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

人間力

朝、カーテンを開けたら雨があがっている。ラッキー。

下旬は休みなしできて、やっと休日だ。やることがたまっている。

腰痛は治まったが、左肩関節がまた痛くなっているので、ストレッチ。齢とともに寒さに弱くなったから、冬支度を始めなくては。


先週の日曜日はジャズ・オーケストラのコンサートに行った。アマチュアだが、結成40周年のビックバンドだ。頭のてっぺんから爪先まで swing swing。
生演奏の昂揚感がまだ身体に残っている。


昨日(土)は、一日認知症の研修だった。午前は精神科医による医学的知識の講義。
齢をとるとなぜ、人の名前や固有名詞をとっさに思い出せなくなるのか。脳の神経細胞は一日10万個減少する。神経細胞の結びつきが弱くなるため、信号の流れが途絶える。度忘れとはこういうことなのだ。
講師がが五つ固有名詞を上げて、憶えて下さいといった。他の話題に変え、五分後に幾つ憶えているかというよくあるテストだが、私は四つだけ覚えていた。もう一つはどうしても思い出せない。
この程度なら齢のせいで、認知症とは違う。簡単にいうと朝食に何を食べたか忘れるのはよくあることだが、食べたことを忘れるのは要注意である。
認知症(痴呆)は老化を超えた脳の病変による知能の低下した状態。だから、その病変の元の病気がなんであるか専門医に見てもらい、初期のうちに治療する必要がある。
午後はケアの専門家による講習。東京都グループホーム連絡会事務局長 和田行男氏は、茶髪で若々しい。今やカリスマ・ワーカーというか、講師として引っ張りだこの人気だという。
老後や介護は暗くつらいことばかりではないよ、と。目からウロコ、おもしろくて元気のでる内容だった。
国鉄職員と司会者が紹介したので、帰って検索してみた。蒸気機関車の追っかけしていた高校時代を経て、あこがれの国鉄に入社した。1987年国鉄が民営化した年に退社し、介護業界に転身している。この人の著書を読んでみたいと思った。


老人が一人死ぬと図書館一館分位の資料が消失することだとどこかで聞いた。
明治、大正、昭和を生き抜いてきた老人は歴史の生き証人であるし、宝の山のようなものである。
私は今の仕事についたのは成り行きで、いい加減だった。天職と思っていないし、介護のエキスパートだなんて口が裂けてもいえない。

ただ祖父母に育てられオバーチャン子だったので、(そのせいで三文安い) オバーサンが好きということはある。
介護の仕事をしながら、生活の場で歴史の生き証人のホンネの話を聞けて、仕事が趣味と実益を兼ねていることは幸運なことだと思っている。
毎月訪問する老夫婦は行く度に満州の話が出る。命からがら引き揚げてきて、途中子供を2人失くしている。夫の感慨、妻の恨み言。その言葉の向こうに広がる背景に思いをめぐらし、何回聞いても飽きるということはない。

私は子供時代、娘時代、幸福という感覚がなかった。むしろ、齢を重ねるごとに幸福感や充たされていると思う瞬間を感じられるようになった。子供や若い時代に還りたいとは思わない。今がよい。これはどういうことなのか。