みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

秋を惜しむ

明日は立冬だそうだ。そういえばもう来年のカレンダーがお店に並んでいる。

3日(金)は十三夜。近くの古民家園で尺八の演奏と、尺八の音色に合わせて墨絵を即興で描く催しがあった。
縁側にはススキが生けられ、隣にはお月見団子。空には十三夜の白い月が浮かんでいた。
中国出身の画伯が大きな紙に覆いかぶさるようにして太い筆で、全身で墨絵を描いていくのをまん前で見た。
墨絵は斬新で和にも洋にも合う。私の殺風景な部屋に、この大きな墨絵を一枚張ったら、さぞ似合うだろうと思った。


4日(日)は、40年来の友人と新宿で会う。土日に新宿に行くなんて避けたいところだが、この日しか空いていなかったのと、お互いに新宿が交通の便が良かったから。
案の定凄い人出、しかも若者ばかり。入ったレストランのピザはまずかった。
友人は数年前から和服を着ることが多くなった。今回も黒っぽい大島紬が似合っていた。気候的にもよいし、私も紬を着たかったが、帯に自信がないのでやめた。友人は50歳前後で進行性癌にかかった夫を献身的に介護し、見送った。
今は療養型病院に入っている姑と、自分の母親が大腿骨骨折で入院中。「いつまで介護が続くのよ」と笑っている。
夫の介護は自分の生活を犠牲にし全力であたったが、今は介護保険を利用し、自分の時間を確保している。
森達也の追っかけをしている」と彼のドキュメンタリー映画を全部観て、本も買っているとのこと。
好きな映画、作家も私と交叉するところがある。私みたいに我がままで自己中心的な人間と40年も友達関係が続いていることは、驚異である。彼女の懐の深さと徳によるものだ。感謝あるのみ。


昨日、5日は東京都医師会主催の都民公開講座「それぞれの愛と死を見つめてー終末期医療を考える」に出かけた。
終末期医療先進国オランダで地域医療にかかわる医師と緩和ケアのスペッシャリスト看護師、日本の地域医療に携わる医師との対談、パネルディスカッション。
オランダではかかりつけ医が生まれた時から死ぬ時まで長期にわたって住民を看る。住民がかかりつけ医を通さずに病院に行くことはない。
終末期医療 家族それぞれがストレスを抱えている。みんなの声を聴き取るファミリーコンサルティングで、コンセンサスを得る。
医師や看護師をサポートするシステムもある。こういうシステムがあっても安楽死は医師としては苦渋の決断であり、それほど数はないということだった。
オランダでは多くのボランティアが患者や家族を支えている。ボランティアだから無償であり、その代わり無理はしない。

日本では有償ボランティアなんて、中途半端な制度がある。日本の現状は個人情報保護が行き過ぎて、同じ団地内の一人暮らし高齢者の数や存在さえ把握できない。オランダや北欧のような福祉国家と弱肉強食の自由主義経済社会の差なのだろうか。
会場の看板に協力:オランダ王国大使館 とあるのを見て、オランダの正式名称はオランダ王国であることを知る。オランダにしろデンマークにしろ、王室も国民もフラットだ。王国といってもいろいろなんだね。

会場を出たら、目の前は皇居前広場。ニュースで見る二重橋が目の前にある。地下鉄二重橋駅下車2分なのだから無理もないが、駅名と現実の二重橋が結びつかなかった。ついでに見ておこうと友達と二重橋に向かって歩く。道路を挟んで明治生命館のビルが建っている。ここは占領時、アメリカ極東連合国軍最高司令官総司令部が使用していたところではないか。皇居にこんなに近いところにGHQがあったのか。


夕暮れの淡い光の中、両側の芝生と点在する黒松の濃い緑がはっとするほど美しい。バックに見えるお堀と二重橋、皇居の白い壁が一帯となり、無駄を省いた日本的な景観がすばらしいのに驚く。テレビでは一部分しか写さないもの。
以前、夫が車椅子のクリスチャンの夫婦が外国の客を案内したり、ここをよく訪れていた理由がわかった。道路から広場とバリアフリーになっていて、とにかく広々としているのだ。