みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

新年のごあいさつ

みなさま 新年おめでとー 
何がめでたいもんかって? そういわれると思ってました。
はい、自分のこと考えても内外の情勢見ても、内閣の顔ぶれ見ても、あ〜〜。
それでもありがたいことにおてんとう様は昇り、新しい年に替わったわけで、とりあえず気持ちを新たにスタートしたいと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。
今年の目標 
個人的には自分のライフワークともいうべき、自分の故郷で終戦の時に起きた事件についてちゃんと書くこと。
中目標は介護保険制度の現場で働く人間として、制度に翻弄されっぱなしではなく、その中身の点検、介護職員全体の底上げ、もう少し安心して老後を暮らせるような制度するために発信していかなければと思う。


私めは、元旦は両親、弟たちの家族とおせちやごちそうを食べ、お正月らしい団欒のひとときを過ごしてまいりました。
父は満87歳、今年中に米寿のお祝いをしなければなりません。父は昨年よりも今年の方が心身ともにしゃきっとしているように感じられます。
裏の谷戸を杖もつかずに毎日歩いています。一日に一万歩以上歩くらしい。
一緒に歩くとこちらは息切れし、追いつくのが大変。写真の腕も深まり、自分史を書き始めました。
南の端、西表島に住む妹にも召集をかけ、きょうだい5人と孫たちが一同に集まり祝いの席を設ける手はずにあいなりました。


田舎に向かう車中、吉村 昭の『死顔』を読む。最後、作家である妻の津村節子が書いたあとがきを読み、涙が止まらなかった。たぶん向かいの座席の人は驚いたことだろう。
吉村 昭の著作数は膨大で、そのうちの何十分の一しか読んでいないが、割と好きな作家だった。印象に残っているのは『関東大震災』『彰義隊』『天狗騒乱』 
遺作『死顔』を読むと、若い時に結核で九死一生を得たこと、両親、兄弟の死に立ち会ってきたことで、自分自身の死、始末のつけ方を意識してきたことがわかる。

『死顔』には、幕末の蘭方医佐藤泰然が、自分の死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物も断って死を迎えたことが書かれてある。
吉村 昭は、遺書によけいな延命治療は望まないと記していた。
病院のCT検査を断り、退院して自宅にもどった吉村 昭は、娘さんに「死ぬよ」と声をかけ,
いきなり点滴の管のつなぎ目をはずし、カテーテルの針を抜いた。
吉村 昭は死期を見定めながら、自分で死を決めたのである。

膵臓癌にてH18年7月31日没 79歳の生涯だった。
『死顔』は吉村 昭の、読者への遺書である。