みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

何が幸せかって

kawanomiti2007-01-14

私の幸せは、あまりにささやか過ぎて、口にするのがはばかれるほどだ。
たとえば今日のように、日の当たるベランダで布団を干し、植木鉢の新芽を見つけたりした時。
白菜の漬物がおいしくできた時。仕事から帰って飲む一杯のお茶とか。


谷川俊太郎の詩に、幸せはいつだってささやかなものだ という一節を見つけ、妙に納得した。
日常や世の中なんてつらいことや理不尽なことが多い。だから、ささやかな幸せが愛おしいのかもしれない。
 
今日の新聞に内閣府が昨年10−11月に行った国民生活に関する世論調査の結果が掲載されていた。
「生活は向上している」と感じる人が前年比2・2ポイント増の6・2%となった一方、老後の生活設計を中心とした「悩みや不安を感じている」との回答も同1・2ポイント増の67・6%となり、調査を始めた58年以降で最高となった。
景気回復の恩恵を受けている人が限定的ではあるが存在していること。
政府に対する要望では社会保障制度改革を求める声が前年より11・4ポイント増えて72・7%と最多を占めた。とある。

最近の選挙でも有権者の意識調査で、年金や医療など老後の生活設計への要望が多かったが、各政党から具体的で明瞭な回答はなかったような気がする。
選挙の前は負担増や都合の悪いことはいわない。どの政党みても口当たりのよい実行不明のことしかいわないから、あてにならない。


社会保障制度改革はシンプルに国民にわかりやすい内容、説明で、衆知してもらいたい。
というのは平成12年、介護保険制度では何がなんだかわからないままにスタートした。それまで措置(役所がサービスの量を決めていた)から、民間事業所と契約して、介護支援専門員(ケアマネージャー)と相談しながら、サービスを選ぶ制度に変わったのである。
しかしながら、準備期間も養成も拙速で、制度の要であり司令塔と呼ばれる介護支援専門員(ケアマネージャー)すら制度の中身がわかっていなかった。
ましてや、サービスを受ける当事者はややこしい契約や制度の中身が理解できない高齢者である。
その上、厚労省(途中で厚生省から変更)は、くるくると制度の根幹にかかわる改正を行ったので、利用者も現場の人間も振り回されっぱなし。


たとえば、福祉用具のレンタル 要介護1以下の人は介護用ベッドを借りられなくなった。それで不満が出ると、買取りに補助金を出すことになった。それも来年の3月までの間である。レンタルするよりも安上がりで得と思うのは素人である。
ベッドもマットレスもレンタルなら、状態に応じて無料で交換できる。修理も点検も無料で定期的にやってもらえる。必要なくなった時も無料で引き取る。ところが買い取ったベッドを処分するとなると、人手や運搬で何万円もかかる。
私は介護保険サービスで自分自身が使いたいと思うサービスはベッドのレンタルなので、とても納得できないでいる。


どういう介護を誰にどこまでやってもらうのか。それにはどこまで負担するのか。という肝心の論議がないままスタートし、保険料負担との関係で、介護保険制度は最初の「介護の社会化」 という理念から大幅にずれてしまった。

医療制度、年金の問題も同じだと思う。わかりやすくシンプルに。みんなが自分の問題として捉えられるように、そういう議論や仕掛けを政党、マスコミ、行政は作ってよね。


追記 野口悠紀雄オンライン「超」整理日記 見ていたら、福井日銀総裁の年金はなぜ高額なのか というタイトルで、年金額が778万円、しかも在職老齢年金制度によるカットも年齢が超えているため適用されない。年金制度の格差、不公平の問題がわかりやすく書かれている。


 驚き桃の木、ぜひ、野口悠紀雄オンライン「超」整理日記 を見てみて。