みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

生きること 老いること

一昨日、「退院が決まったから、早くケアマネを探すよういわれた」という家族の切羽詰った電話を受けてしまった。
都営住宅の4階に住む一人暮らしの82歳のオバーサン。歩行できなくなり1ヶ月前に入院、現在はリハビリの結果そろそろ歩けるようになった。
息子さんが医師に話を聞くというので、昨日の午後急遽同行した。医師は本人がエレベーターのない4階に住むことを知らなかった。「うーん、1〜2階なら何とか休み休み上がるとしても、4階はきついな」 
オバーサンの膝には人工関節が入っている。まだ要介護度も出ていない。
医師に、サポート体制が整うまで退院を延ばしていただけないか、息子さんと共にお願いする。


今、西表島から妹が上京している。寝ながらおしゃべり、目が覚めてもおしゃべりしていたら朝の9時になっていた。
父の米寿のお祝いの件、子どものこと、それぞれの健康状態など話は尽きない。
妹が「トイレに自分で行けなくなったら、生きていても仕方がない」という。そうかも知れないが、でも。と、以前関わった90代の男性のことを思い出した。
その人の要介護度は最重度の5、介護用ベッドに寝たきりである。トイレに行くこともできずおむつである。訪問入浴、訪問看護を利用していた。ベッドが置かれているのは広間で、中央には大きな太鼓が置いてあった。その広間はある宗教団体の人寄せをする場所だった。男性は身寄りがなく、遠縁にあたる信者夫婦の世話になっている。その人はベッドに寝たきりなのに穏やかな表情をしていて、品位があった。言葉にユーモアがあるせいかショートスティ先でも、信者の間でも人気があるということだった。
彼は、「ここにくる人は、みなオカーサン」といって手を合わせる。彼が亡くなった後、世話をしていた女性が「もっとお世話をしたかった」というのを聞いた時の言葉にしがたい驚き。
介護保険制度がスタートした頃で、慌しく過ぎ去った何百人かの利用者の一人だった。あれはどういうことだったのだろう。彼は日常の中で生と老い、死を周囲の人たちと分かち合った。とても大事なことを身を持って教えてくれたのだ。