みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

今日も五月晴れ

kawanomiti2007-05-26

父の米寿のお祝いも無事済んだ。
当日、父はいつにも増してシャンとして見えた。子、孫ら出席者全員にお祝いの言葉と近況報告をスピーチしてもらった。甥や姪、がいつの間にか一人前の大人の顔になっている。そう、もう孫の時代になったのだ。みんな久しぶりの再会を楽しみ、両親によい企画だったと喜んでもらえ、いいだしっぺの長女としては面目をほどこした。


会場が霞ヶ浦だったので、自衛隊の武器学校に娘と見学に寄った。元土浦航空隊予科練のあったところだ。
正門入った受付にまだあどけない顔の自衛隊員が詰めている。化粧けのない若い女自衛隊員も一人混じっていて、キビキビと動いていた。どの子も純な眼差しをしているのが、眩しく感じた。
雄翔館という資料館で特攻隊員の遺書や写真を見る。20歳前後の若者を死なせ、中高年の戦争指導者たちが生き延びたことに怒りとやりきれなさを覚えた。 〈写真は正門 その先は霞が浦 水と緑の美しい風景を眼下に見ながら若者は特攻に飛び立った〉


それから1週間、沖縄の妹たちがうちに泊まったり、ちょうど仕事の忙しい時期と重なったため、まだ疲れが取れない。
というところに、仕事を終え、自転車で帰宅途中、大学の近くの路上で、横から曲がってきた女子学生らしい若い子の自転車と衝突、私は自転車ごと倒れてしまった。
自転車を止めて突っ立っている女の子に「電動は重いから起こして」と言って自転車を起こしてもらった。
「歩道はスピードを出してはいけないのよ」というと、彼女は「出してません」と言い捨てて立ち去った。
こちらは直進しているのだから、曲がってきた彼女が徐行すべきではなかったか。ぜんぜん反省の色もいたわりもない態度に気持ちが治まらなかった。
帰宅したら腕の肘とかかとに摺り傷があり、腰もあざになっている。青信号で横断歩道渡っていても、どんどん車は進入してくるし、油断できない。自転車通勤が怖くなった。