みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

首都高速の走る街で

繁華街を分け入るように走る国道、上には首都高速道路の二階建て。その道路に面して古い5階建てのビルがある。エレベーターがないので、階段を上がらなければならない。4階まで上がった時、リンリーンというにぎやかな虫の音、思わず口元がほころぶ。5階の廊下に大きいケースが置いてあり、鈴虫の大合唱なのである。いつも玄関を入ったところに置いてあるが、どんどん子孫が増えて入りきれなくなったようだ。
5階には大正生まれの93歳の男性が一人で住んでいる。病気のため、歩いてトイレまで行くのがやっと。階下には息子家族が住み、区外に嫁いだ娘たちと交代で、父親の介護を続けている。
寝室のガラス戸の向こうには屋上ガーデンがあり、昔あったような庭の風景が再現されている。これも息子さんが作ったようだ。眼下を国道と首都高速が走っているとは思えない静けさ。

男性は未だに褌を身につけてパンツははかない。トイレに行くのが間に合わず、粗相しても人に頼まず、自分で始末をする。いつぞやトイレに行こうとして倒れ、ケガをしたことがあった。傷口から血が出ているのに、粗相の後始末をしてから、階下の息子に助けを求めた。
「何ですぐに助けを呼ばないのか。そういう父親の律儀さが切ない」と娘さんはいう。娘さんは週2日バイクで父親の元に通い、父親を入浴させている。
こういう生活が何年も続いているわけだが、娘さんは父親のところに来れるのがうれしいという。
私は、父親が要介護になったらここまでできるだろうか。さんざん親不孝したので、恩返しをしたい気もする。若い頃は父とまったく会話が成立しなかったが、最近は話が合うようになったし。

階段を下りて、ビルの外に出ると、夕方の繁華街は車と自転車、人の洪水である。車を走らせている人も、道を往く人も誰も、古いビルの5階に住む男性と家族、鈴虫たちのことを知らない。若者が闊歩する街で、思いがけない忘れ物を見つけた時、とてもうれしくなり、誰かに伝えたくなる。
新しいものと古いものが混在する都会が好きだ。後、何十年かしていわゆる団塊の世代後期高齢者になる頃は、どんな世界になっているのだろう。