みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

終わりよければ

羽田澄子監督の長編ドキュメンタリー「終わりよければすべてよし」を観た。
今、日本では病院での死が80パーセントを越え自宅での死は13パーセントに過ぎない。現在では往診してくれる医師もなく、自宅で安らかな最後を迎えるのは難しいという。

先週、介護保険の認定調査に病院に行った。対象者は70代のオバーサン、半年前、脳梗塞で倒れ寝たきりになった。発語なく、毎日面会にきて洗濯物を持ち帰る夫のことも認識できない。鼻から経管栄養で流動食を入れ、24時間酸素吸入。マヒのない手で無意識に管をはずしてしまうため、左手に抑制ミトン(手袋)を嵌めている。子どもたちは独立し、夫は妻を自宅に返すことは無理とあきらめている。

このように意識が戻らないまま高度医療を受けながら長期入院する高齢者の姿を見ると、終末期医療はどうあるべきかを国民全体で考えないといけない時期にきていることを感じる。

私の祖父は1970年に75歳で、祖母は1980年代に89歳で、家族、近親者に看取られて自宅で亡くなった。掛かりつけ医は往診し「病院で薬漬けにするのは・・・」と入院を勧めなかった。二人とも自分でトイレに行けなくなり、口から食べられなくなり、半月から1ヶ月床について、蝋燭の灯が消えるように寿命を終えた。

祖母は自分の母親がそうだったからと、自分は絶対に長く寝込まないと自信たっぷりに言っていた。
帰省した私は、弱った祖母が誰にも身体を拭かせないと聞いて、熱いタオルで祖母の身体を拭いた。祖母にオムツを替えてもらった私が下を拭くことを祖母が拒まないことに胸がいっぱいで、祖母の最後が近いことを感じながら何もいえなかった。

映画の後、友達と食事をしながら、「自分の終末期のことを考えないといけないわね」と話した。だが正直のところ、まだ死に対して覚悟ができていないし、真剣に考えられない。