みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

二宮金次郎像

二槽式全自動洗濯機を探していた。インターネットで検索し、やっと買うことができた。今は日立家電が製造販売しているのみとなった。我が鉄筋長屋は洗濯機をベランダに置く構造のため、それまで使っていた全自動洗濯機は、フタが劣化し破損した。
私の洗濯の流儀としては、一気に衣類を入れ、気がついたら脱水まで終わっている全自動は物足りない。洗剤は液体石鹸と酸素系漂白剤をお湯で溶いて入れる。合成洗剤は化学薬品ぽい刺激臭が嫌い。皮膚が痒くなりそうで、なるべく使いたくない。
洗濯物がぐるぐる回ってきれいになっていくのを眺めるのが好きだ。頃あいを見て仕上げに酢を入れ、石鹸分を中和させる。最後のすすぎ水は取って置き、夏はベランダに撒いたりできる。脱水も衣類によって時間を変えてみる。という工程を経て、洗いあがった洗濯物を今日みたいに晴れた日に干し上げる至福の時間。を味わうには二槽式ね。という根強い支持者がけっこういるようで心強い。
しかし、寒いのに洗濯機にずーっとへばりつくのも辛いし、効率悪いし、という横着な洗濯好きにとって二槽式全自動洗濯機は願ってもない製品だ。日立家電様、どうか製造を中止しないでね。修理しながらいつまでも使い続けたいので、部品を取って置いてくだされ。


新居が完成したので、という案内をいただいたので、昼過ぎに仕事で関わったお宅にお邪魔した。繁華街の駅に近い路地、古かった木造の家がモダンな3階建ての建物に変わっていた。
娘家族との二世代住宅で2階3階を娘夫婦と孫が使う。老夫婦の住む1階はバリアフリーで手すりもついている。浴槽も足が弱っている妻が入りやすい構造になっている。
あら、屋内に小さな中庭まである。その庭にやや小さめの二宮金次郎の石像が置かれてあるではないか。
「オト−サン(夫)がわざわざ作らせたものなのよ。ほら、ちゃんと薪を背負っているでしょ」。無口で働き者の彼女の夫の姿を重ね合わせ、思わず笑みがこぼれた。
明治生まれの私の祖父も二宮尊徳を信奉していた。大きな農家の三男坊だった祖父は、親を助けて学校に行く道、荷車に米や雑穀を積んで集荷場まで運んだという。祖父の残した覚え書きに、尊徳の家訓が筆で書かれてあるのを見つけ、祖父の生き方を納得した。
戦後になって、修身教育に使われたからか、時代にそぐわないということなのか、二宮金次郎の像が奉職した小学校から姿を消した時、祖父は何を思ったことだろう。
老人の家を訪ねるとあっと驚く発見がある。大学が二つもあり若者で賑わう街の一角で、突然、明治や大正、戦前の昭和に出会う面白さにわくわくする。明治生まれは数えるほどしかいなくなった。それだけに明治生まれと聞くと宝物にあたったような興奮を抑えられない。