みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

(続) その人らしく生き(き)るために

今日に日付が変わる頃ソノ子さんがみまかった。


一昨日訪問した時、ソノ子さんは水を少し口に含むのみになっていた。
ベッドに横たわるソノ子さんは、私の顔を見ると両手を差し伸べ、手を合わせた。
この1週間でソノ子さんはおだやかなやさしい顔になっていた。ソノ子さんの手を握りながら、最期が近いことを予感した。

老衰なので積極的治療はしない。点滴もしない。食事も無理に食べさせない。自然にまかせて見守るという主治医の方針を家族は信頼し同意した。

「アキ子ちゃん」とお嫁さんを呼んでいたのが、「オカーサン」に変わり、もうソノ子さんの意識は彼岸とこちらの境目を漂い始めていた。

息を引き取ってから、アキ子さんと孫夫婦は訪問看護師とともにソノ子さんの遺体をきれいに清め、上等の着物に着替えさせた。

訪問看護師は、ソノ子さんのように苦しまずに亡くなられるのは珍しいです。アキ子さんも最期まで看取ったことですっきりした顔をしていらっしゃいました。と最期の様子を知らせてくれた。


大往生である。何よりもソノ子さんが安らかに往生できたこと。夫亡き後、姑であるソノ子さんを長い間看てきたアキ子さんが、逡巡しながらも家で最期まで看取ることに覚悟を決め、やり遂げたこと。近くに住む孫夫婦、保育園児のひ孫まで、ソノ子さんの看取りに参加できたことがよかった。

私の祖母は89歳で老衰で亡くなった。田舎のことで、それに当時は訪問看護師なんていないので、家族、親戚、近所の人に見守られ、祖母は手を合わせ礼をいって亡くなった。長患いをすることなく往った祖母にあやかりたいと、近所のカーチャンたちがいっていた。どうやら老衰というのが一番理想的な死に方のようだ。ローソクの燈が消えいるように命を終えられたら幸せ。

病院で死ぬということは、点滴や酸素吸入や経管栄養など管につながれ延命させられる。意識もなく家族の顔もわからないのに管につながれ生き続ける老人たちをたくさん見てきた。本人が苦しいだけではなく、医療費が増え、家族の金銭負担も大変だ。

私もソノ子さんにあやかりたいが、現在のところターミナル(終末期)在宅療養の条件として、常時見守れる介護者(家族)、それに往診してくれる掛かりつけ医と訪問看護師が必要だ。
厚労省は掛かりつけ医を持つことをすすめている。私もいざという時往診してくれる掛かりつけ医を確保したいが、周囲にいそうもない。在宅ターミナルのハードルはまだ高い。

誰もが病院で死ぬ いう流れに対して、本当はそうではないということをお知らせしたくて、ソノ子さんの看取りをレポートさせていただいた。ソノ子さん、アキ子さんにケアマネージャーとしての仕事の醍醐味を味わせていただき感謝である。  合掌