みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

兵隊はこうして作られる

今年の8月12〜16日まで第30回平和のための戦争展が、新宿スペース・ゼロ ギャラリーで開催された。
ここで、陸軍の三八式歩兵銃の現物をはじめて見た。持ち上げてみたら、ずっしり重い。こういうのを担いで行軍するのはきつかっただろうな。
14日はカタログハウスのホールで、元中国帰還兵による加害証言を聴く。農業や普通の仕事に従事して、人を殺すことなどしたこともない若者が、徴兵され戦場に送られる。兵隊はどのように作られるのか。が少しわかったような気がする。
「中国人を殺せ」と上等兵の命令で銃剣を掲げて突進した。でも人を殺すのは本当に恐ろしい。心臓を刺そうとしても手ががたがた震えて手前で銃剣が落っこちる。あばら骨があってすべって剣が入らない。そうすると上等兵に殴られる。そして古い兵隊が心臓の手前で剣を横に倒してみせるとすーっとあばら骨を通過して刺さるんだ。
こうして人を殺す訓練をするんだが、1、2年たつと人を殺すのが楽しくなった。人を殺せば成績が上がる。性暴力についても、どうせ死ぬんだったら男としてやることをやってから死のうと思って、強姦もしたと金子安次さんは声をふり絞るように語る。

中国の元戦犯管理所の職員のビデオによる証言では、新中国政府の人道的待遇の方針と戦犯自らに気づかせるという意図のもと、戦犯には強制労働がなく、「人格を尊重する」対応が取られた。食べ物も中国人以上の食事を出したとのこと。

日本に帰還した元兵士の中には中国で行った殺戮や強姦などがトラウマとなり、心身に不調をきたす人もいる。これはベトナム戦争湾岸戦争の後にアメリカでも見られた現象であり当然のことだろう。
私の父は召集されてすぐの兵隊検査で、肺先湿潤が見つかり即日帰郷となった。父としては盛大な歓呼の声に送られて出征したのに、どんなに肩身の狭い思いをしたことか。もらった餞別を一人ひとりに返してまわったそうだ。同期の人たちは中国戦線に送られたので、父も病気が見つからなければ、兵隊になって同じようなことをしたのかな。

自分の加害体験を語り、聴いてもらうことは、トラウマからの回復をはかる試みとしても有効である。と同時に社会の側も、未来につなげるため苦渋の決断で語る元兵士の言葉に、耳を傾けなくてはならないと思った。