みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 母恋し

 私たちきょうだいの生母が、3年前に亡くなったのを知ったのが昨年の終わりごろ。
生母は私たちきょうだい3人を年子で生んだ後、自分の実家に戻り離縁になったので、私たちは生母の顔も知らないし、一緒に暮らした記憶もない。家には生母の写真も痕跡もなかった。

 昨日は、父違いの妹とその家族と待ち合わせ、弟、妹も一緒に生母の墓参り、生母が住んでいた家、生母の実家を案内してもらった。弟と妹は、父違いの妹とはじめての対面となる。
生母が、「3人に会いたい、会いたい」とずっと言い続けていた。「そのうち会わせてあげるからね」といっているうちに、急に亡くなってしまった。という話は、涙なしには聞けなかった。

 母が生前住んでいた家を見たいといったのは妹である。料理を作ることが好きだったという台所には昔の、ご飯を炊く釜があった。ぬか漬けの容器は私が使っているのと同じ瓶の容器で、大きさまで一緒だったのに驚く。薬草などを煎じていたり、歴史ものの本が好きだったことなど、自分と重なる部分にDNAの不思議を感じた。

 私は子供の頃身体が弱かったので、祖母に大事に育てられた。祖母がすべてだったから母恋しという感情はなかった。だが、弟は未だ見ぬ生母がずっと恋しくてたまらなかった、というのをはじめて知る。
 母も特に弟に会いたがっていた。老いてから難聴だったこともあり、弟が夕べ訪ねてきたと近所の人に話していたという。おそらく郵便やさんか誰かがきたのをそう思い込んでいたのだろう。「山椒大夫」という物語の、盲目になった母が「安寿恋しや、ほうやれほー、厨子王恋しや、ほうやれほー」とうたう場面がオーバーラップする。
 弟は母が実家からそう遠くない場所に住んでいたこと、その近くの道路を通り帰省していたことを、今になって知り涙に咽んでいた。
 父違いの妹の長男の運転で、一日がかりの亡き生母を偲ぶ小旅行になった。夜、車は千鳥が淵を見下ろす道路を走る。ライトアップされた水辺の満開の桜の美しさが目に焼きついた。