みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

縄文人はグルメ?

 部屋の整頓、書類の整理、冬物の洗濯と衣類の入れ替え・・・連休中にやることを紙に書いて張ったが、やはり、全部できなかった。でもお天気に恵まれ、命の洗濯ができたから良しとしよう。
 間に茨城県坂東市猿島資料館の企画展「縄文人と海辺の暮らし」ー昔、坂東市にも海があったー に行く。6000年前、卑弥呼から大化の改新の時代は地球が温暖化し、今よりも2度くらい気温が高かったそうだ。海面は上昇し、茨城県は内陸部まで海になっていた。
 子供の頃、祖父から「昔、この辺りは海だったんだよ」と聞いた時の驚き。遠足で海水浴や潮干狩りに行く時、バスに長時間揺られ、やっと海に着く。家の裏に貝塚があったらしいが、我が家で捨てた貝殻と大昔の人の捨てた貝殻とどう見分けがつくのか不思議だった。
 時々、大昔のご先祖様が、海辺で釣り糸を垂れている姿を重い浮かべるのは楽しいものだった。縄文人についてかねがね知りたいと思っていた。

 猿島資料館は東京から電車、バスを乗り継いで、とても不便なところにあった。中世には平の将門が暴れ廻った土地だが、過疎化が進み、人の姿が見えない。
 資料館の展示で、海といっても遠浅の干潟のような海であることがわかった。だから、海辺で釣り糸を垂れるというよりは、潮干狩りや棒の先に矢じりをつけて、魚を取るというイメージだ。会場に発掘されたアサリ、ハマグリ、カキの貝殻が展示されていた。クロダイなどの骨も遺されている。縄文人って意外やおいしいものを食べていたんだな。カキだって天然ものだし。

 田舎では両親、弟の家族と、ご先祖様の話題で盛り上がる。というのは我々のご先祖様は名もない庶民なので、家計図も何もない。ひいおじいさんまでさかのぼるのが至難の業だ。だからお寺の過去帳などに残るわずかな記録を基に、ああでもないこうでもないと言い合う。家族の絆を感じるひとときである。