みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

  空虚な選挙合戦を横目に

 今年もウチのベランダの苦瓜は元気だ。この緑のカーテンと、北側の風の通り道のおかげで、この蒸し暑い日曜日、エアコンなしで何とか過ごしている。職場ではエアコンを切るわけにはいかない。案の定エアコンの風があたる肩が痛み出した。

 先週もいろいろなことがあった。認知症の利用者が、デイサービスの施設から脱走し、警察に頼んで探してもらったという連絡が入る。デイサービス利用は妻の介護負担を軽くするため。妻は週1日のデイサービスの日に、夫の蒲団を上げて掃除をしたり、洗濯や買い物に行く。
 夫は認知症以外は、身体的には問題なく、階段を一人ですいすい降りられる。ところが妻は、腰が曲がり、手すりにつかまってやっとのことで降りている。最近は腰だけではなく、膝も痛むようだ。夫のデイサービスをもう1日増やして、整形外科を受診し、治療を受けた方がよいのではないかと妻に勧めた。妻もやっとその気になったので、デイに1日追加を申し込んだが、何の返答もない。その矢先に、脱走騒ぎ。デイサービスの責任者に追加申し込みの返答を聞くと、「こういうことがあると・・・」と口を濁した。
 施設からすれば、認知症で徘徊する人は、人手がかかるし、リスクも大きいのはわかるが、家族は、大変だから頼みたい。そのための介護保険制度だったはずだ。

 
 小泉改革に代表される社会保障・介護報酬の引き下げで、介護職員の人手不足、過重労働は、利用者の選別を招いている。
 たとえば待機者の多い都市部の特別養護老人ホームは、介護保険制度スタート間もなく、介護の手間のかかる重度者、一人暮らし、認知症を優先とするポイント制に切り替わった筈だが、最近は要介護3以上で手間のかからない利用者が選ばれている。こういう現実を一般の人は知らないだろうな。
 低負担高福祉はありえない。今度の参院選挙でも増税について議論されているが、乱暴な分け方かもしれないが、高福祉高負担の北欧、ヨーロッパ型か、低福祉低負担のアメリカ型か、どちらを選ぶのか。というふうに、有権者に具体的に問うてほしい。
 無条件に消費税を上げられるのは困るが、増税して介護や医療。年金などの社会保障が充実して、憲法で保障される最低限度の文化的生活が保障されるのであれば、その方がよいのではないか。というより、増税以外にどういう方法があるのか。
 政治家はわかっていながら、選挙が終わるまで増税をいわない。どちらも有権者をなめている。