みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 お盆の蛍

 久しぶりに田舎のお盆に帰った。弟の連れ合い(おヨメさん)が寝たきりの叔母のことで相談したいことがあるという。母は母で、元気な今のうちに過剰な延命治療を拒否する旨を明言しておきたいので、日帰りではなく泊りがけできてほしいというのである。
 ちょうど「平穏死のすすめ」石飛幸三著 講談社刊 を読み共感したこともあり、両親の思いをきちんと受け止め、弟家族とも意思確認をしておきたいと思った。
 尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」のひな型を参考に持参する。母は、いざそのときになったら、私が弟妹たちに両親の意志を伝えよ、というのである。そんな、一任されても。本人が直筆の書面を残すことが一番有効であり、医師も一筆書いてあると助かるといっているんだから。と話す。

 夜、8時過ぎに、おヨメさんと裏の谷津田に蛍を見に行く。この辺の蛍は平家蛍だ。目をこらすと草の間に、かすかに光の点滅が見えた。目が慣れると、あちこちに蛍が見つかった。
 娘が小学生の頃、まだ蓮田が残っていた頃に、蛍の乱舞が見られ、団扇で軽く叩くとおもしろいように取ることができた。虫かごに蛍を入れて、暗い窓の外に吊るして娘と眺めたことを思い出す。
 おヨメさんが、オバアチャンが亡くなった年も蛍がたくさん出ましたという。今宵ちらほらと点滅する蛍は、先祖を偲ぶお盆の夜にふさわしく思えた。


 文庫本「永遠のゼロ」をリュックにいれ、帰省の道中に読む。ところが涙が止まらず、鼻水は出るわ、ポケットティッシュが無くなり困った。ゼロ式戦闘機を愛し、飛行機乗りに憧れる男子の心情とはこういうものなのか。優秀ではあるが、臆病と思われていた宮部久蔵の真の姿、孤独のわけが、じょじょに明らかになり、引き込まれる。
 それに比べ、大本営、参謀、海軍上層部の酷さは許しがたい。孫の男子が祖父の特攻死の謎を解くために、祖父を知る人を訪ねるというストーリー、この本が若い人に読まれるという理由がうなづけた。


 中島京子著「小さいおうち」は、今年度の直木賞受賞作品。なかなかこっている内容でおもしろかった。若くきれいな奥様に仕えた年下の女中の覚書を軸に、昭和の戦争の時代の切り取り方が知的で新鮮だ。なぜ新鮮かというと、戦争の時代につきものの涙や怒りが前面に出ないで静かに湛えられている。感動や感銘というものを掻き立てられることもない。
 あの時代は、誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられた。それが不本意であったことすら、長い時間を経なければわからない。という言葉が深く心に残った。