みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

先が見えない時は

 民間研究所が行っている地域ブランド調査というのがあって、都道府県の認知度、魅力度などを調べた結果、茨城県が2年連続最下位という。さもありなん。茨城の特産品というと納豆、白菜やミズナなどの野菜しか思い浮かばないし。

 ちなみに1番は北海道。 実際、茨城は東京に近いが何もないところだ。でも短所は長所と裏表。茨城県がロケ地日本一というのをどれだけの人が知ってるだろうか。NHK龍馬伝」私は見てないけど、オ−プニングの土佐の砂浜は茨城県の海辺で撮影された。NHKの時代劇大河ドラマでは毎回といっていいくらい国指定重要文化財の坂野家住宅が使われている。
 それは江戸時代の豪農の屋敷と表門、竹林などの里山風景一帯が当時のまま保存されているからなのだ。当然、空に電線はないから時代劇の撮影に持ってこい。東京から車で1時間半の距離は、多忙な俳優・タレントにとっても好都合だ。つまり映画、テレビに茨城県が登場する割合は多いのだが、知られていないだけ。私は知る人ぞ知るでよいと思うけど。

 さて、映画「桜田門外ノ変」の後、吉村昭の原作をざっと読んでから、吉村昭桜田門外の変とその背景、尊王攘夷について語っている対談集「歴史を記録する」2007年河出書房新社刊 を読んでいるところである。内容が濃くておもしろい。

 私は尊王攘夷論、水戸学というものがさっぱりわからなかった。この対談集「歴史を記録する」では対談相手が歴史家や作家など多岐にわたり、それぞれの分野、角度から切り込むので難しいのは苦手な私でもすっと入れた。桜田門外の変の後、明治維新に急傾斜していく。吉村昭は「この事件が起きたことで、大きな車輪みたいなものがごろごろっと急速に転がってっちゃった」。と語る。

 そもそも茨城県鹿島灘こそ尊王攘夷論が生まれた原因だ。と吉村昭はいう。外国が日本を侵略する場合、あの広い海岸線に必ず船できて上陸すると考えた。尊王攘夷運動は水戸から始まって、その教えを受け継いだのはみんな海岸線をもつ藩だった。井伊大老彦根藩は海に面していなかった。(なるほど)
 (おもしろかったのは)太平洋戦争の時も米軍はそこから上陸すると、鹿島灘塹壕を掘っていた。だから百年やそこら経っても人間考えることはみんな同じだと。


 吉村昭井伊直弼について、「頭のいい人ですね。時代を見抜いている」と評価している。攘夷、攘夷といったって簡単にできるわけがない。頭のいい人はみんな反省して、開国の方に行った。

 ところで、半藤一利との対談では、坂本龍馬はちょこちょこ表舞台に出てくるけど、歴史を動かした人ではないと二人は一致している。薩長同盟の根本は武器だ。もともと歴史というのは一人の人間に動かせるものではない。薩摩と長州がともに外国と大戦争をやって、その教訓から「ああ、武器だ」とわかって結びついた。坂本龍馬は少し丁寧に調べた人からは、何もしていないと評判が悪い。と。

 それが今や坂本龍馬ブームだ。小説として読む分にはいいけど、それが歴史的事実としてすり替わっちゃっていいのか。NHKにそこのところを検証してもらいたいが無理か。民放はどうだ? 

 吉村昭は、先が見えないときは歴史を見る。といっている。彼が生きていたら、今の尖閣列島問題、ビデオ映像ネット流失をどう見ただろうか。