みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

原発と婆様と

「3月の連休に行くから」と父に言っていたのに、大きな余震が続いていたので中止した。替りに父の好物の辛子明太子を送った。
田舎は今、田植えの時期。田圃には水が鏡のように張られていることだろう。茨城といっても南部なので、放射能の影響は北部ほどではないが、福島第一原発原子炉の状態が安定していないので、心配ではある。

母に「5月の連休には行く予定」と電話した。「まったく3月11日から世の中がガラッと変わっちゃったよ。まだ、ここら辺はいい方だけど」。「何だか菅さんばかり悪口言われてかわいそうなようだね。ああいうことが起きれば誰がやっても大変だっぺって、俳句の会のみんなと話てんのよ」と、母は一気に話す。
勝海舟西郷隆盛みたいな人物はいないのかね」。と私。
「だけど原発無くすわけにはいかないんだっぺー」と母はいう。NHKニュースばかり見ていると、そう思ってしまうのだろう。「そんなことないらしいよ。私なんかインターネットでいろんな情報見てるから」。

今朝、TBSのサンデーモーニングでは、原発内の仕事を終えて専用バスで帰る作業員の姿を放映していた。白い防御服にガスマスク姿で疲れたような様子である。NHKではこういう映像は流さないもんな。いくら東京の参謀本部が作業工程表を発表し、できるだけ早くやりますと答えても、現場に被爆覚悟で入る作業員がいない限り収束できないのだ。

何日か前の朝日新聞に、避難するのに心ならずも老親を介護施設に置いて去る家族があとを絶たないという記事が載っていた。利用者の家族から「原発が爆発したらどうするのか」「避難方法は考えているのか」という問い合わせが相次いだ。職員が「引き取ってもらっても結構ですよ」と応対したが、引き取りに来た家族はいなかった。

老いた両親を介護施設や病院に預かってもらえば助かる。しかし、職員も被災者である。私も介護の仕事をしているので、この記事は他人事ではない。私は常々、ゴミ、老人、原発の問題は根っこでつながっていると思っている。原発でこれほどの惨事があり、現場の作業員が想像を絶する働き方を強いられているにもかかわらず、原発は必要だと答える人が過半数もいる。ただし、自分の住む地域には作ってほしくないと。

楢山節考という小説があった。昔、日本には間引きや姥捨ての風習があったらしい。日照りや飢饉があり、食糧が乏しい時代に家族、村が生き延びるためにやむをえず生まれた風習なり掟なのだろう。

仕事で会う、大正生まれの八十代後半の婆様がいる。家族は勤めがあるので、日中独りで過ごしている。認知症があり自分で食事を摂ることができないので、お昼の時間帯にヘルパーが入って食事を作り供している。婆様は地震があっても平然としているとヘルパーから聞いた。
ある時、婆様に「一人で居る時に地震があると怖くありませんか」と尋ねた。「この年になると怖いものはありませんよ」と、婆様はいつものおだやかな笑みを浮かべていった。ニュースを見ながら「高齢者が増えて社会も大変なようね。私もみなさんにご迷惑をかけないようにしなくちゃといつも考えています」という。生きてきたようにボケる。というが、婆様はどんな人生を送ってこられたのだろう。私も婆様くらいの年齢まで生きたらそういう心境になれるだろうか。