みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

大震災特別講義

録画した番組ってしまわれたままになる率が高い。梅雨と台風による雨続きで手持ちぶたさのため、「マイケル・サンデル大震災特別講義」をみることにした。

この講義が行われたのは震災後1か月の頃。まず震災時、日本人の冷静な行動と略奪や便乗値上げが起きなかったことに世界中の人たちが感心し、称賛していることが取り上げられた。ちょっと褒め過ぎじゃないのと思わないわけではない。実際はスーパーで買いだめによって品物が無くなり、妊婦や幼児を持つ母親が飲料水を買えないことがあった。アメリカ南部をハリケーンが襲った時は略奪や便乗値上げが目立ったというが、日本は島国であることと、恥の文化がある。たしかに我慢強いかもしれないが、それも善し悪し。

最後に、原発について2つの選択肢を提示された。生活レベルを落としても原発に依存しない、またはなくすことを選ぶか。もう一つは、原発の安全性を高めながら原発を続けるか。ボストンのハーバード大学生のグループでは前者は皆無。上海の復旦大学生グル−プ、日本人グループでは後者が半分近く。しかし全体では原発を減らすは少数派だった。

これが震災から2か月を過ぎた今であったら、もう少し違う結果が出たかも知れない。福島第一原発の制御不能の状態や、核の廃棄物の処分場をどの国でも解決できない現実を知ったらどうであろうか。

上海といえば、中国では経済発展や民主化が進んでいるイメージがあったが、発言した復旦大学の女子学生が物質の豊かさよりも精神的な豊かさを選び、しっかりと発言していたことに感心した。
 ルソーの時代には、日本の震災について共通の問題として共感することはあり得なかっただろうが、ハーバードの女子学生がいってたように、コミュニケーションのツールが発達した現代では、世界中の人が震災や原発事故に対して、グローバルな問題として共感し、支援しようとする。インターネットの中継で、白熱講義をいつでも見ることができる。
 マイケル・サンデル教授の善意性、楽天性は飛びぬけている。私は感動しつつ、ちょっとついていけないと思ったり。日本では国会の論議をはじめとして成熟したディスカッションやディベートが成立しないので、フラストレーションがたまっているから、マイケル・サンデル教授の授業や講義は人気があるのかも。