みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

ゴーヤのトンネルは順調なのに

kawanomiti2011-07-02


窓辺のゴーヤは天井まで達した。この後蔓はどうなるかというと、ネットに沿ってベランダの柵に向かって斜めに降りる。ゴーヤの実は一番大きいのが10センチほど。今年はなぜかゴーヤは高値だ。西表島の妹の話だと、ゴーヤの苗の時期に台風にやられたというからその影響かしら。我が家のゴーヤに期待しよう。


午前中に新宿まで用事があって出た。新宿駅から地下通路を都庁方向に歩く。動く歩道はストップしている。今までは乗っていたが、無くてもどうってことはない。それよりも地下通路の暗さだ。「節電のため一部の照明を消しています」という張り紙が出ているが、天井を見ると約4分の1しか照明がついていないので、人通りがなかったら歩くのが怖いほど。

薄暗い通路を歩きながら、「なぜ、こういうことになってしまったのだろう」といつもの問いが首をもたげた。たしかに高木仁三郎さんたち専門家が警告していた通りの事故が起きてしまった。高濃度の放射線が周辺に飛散し、海へと垂れ流され、取り返しのつかない事態が続いている。気がついたら人間が制御できない危険な原発地震国日本で54基も建設されていた。それなのにまだ、現実が信じられない自分がいる。
 先の戦争でも無謀と知りつつ、戦争を止められなかった。国内外に多くの犠牲者を出し、原爆を落とされるまで終戦を決断できなかった。福島第一原発の事故も同じ病根を感じざるを得ない。この日本病ともいうべき病を克服し、希望へとつなげられるのだろうか。

目指すビルの中は冷房がきいていなくて、これでは作業効率が上がらないだろうなと同情した。ところが帰りの電車は京王線の急行だったが、七分袖のシャツでは寒く、ガーゼのショールを取り出して首に巻いた。ラッシュ時の温度設定のままになっているのかもしれない。

暑いの寒いのといっても、事故の起きた福島第一原発の建屋の中で、想像できない高温と危険の中で作業している人たちのことを思えば、何のこれきし。彼らの被ばく覚悟の働きに頼るしか、放射線との戦いはなすすべがない。私など炎天下を仕事で訪問中、頭の中がぼーっとなり思考が停止し、通いなれた道がわからなくなることがある。原発内の作業がいかに過酷で、工程表の進捗が思うようにいかないか察するにあまりある。
テレビは政局のゴタゴタなんかより、福島第一原発内の作業員の仕事、労働実態をもっと報道してほしい。
佐賀県玄海原発は再開に向けて動きが急であるが、プルサーマルというのが気になる。核のゴミは貯まる一方、捨て場がないというのに、3・11を経てなお、地元の利益、経済への影響を優先させる神経がわからない。