みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

福島の桃

 ス−パーにぬか漬けの材料を買いに行ったら、桃がたくさん並んでいた。桃は高いのでなかなか手が出ない。ところが福島の桃はM玉だったが、2個で298円なのである。原発事故がなかったら、こんな安い値段にはならなかったはずだ。福島の農家の気持ちを思いながら、少し悲しい気持ちで1パック買った。

 昨夜はNHKスペシャ飯館村・悲劇の100日人間と放射能の全記録  を観た。
 最初の画面、雪が降り積もる里山と農家の風景が美しい。東日本の農村らしい原風景だ。この飯館村の大地にセシウムやわけのわからない放射線が降り注いだばかりに、住民は住めなくなり、村を出て行かなくてはならなくなった。家族が避難のためにバラバラになる。田や畑、家畜との別れ。涙なしには見られなかった。
「何も悪いことはしていない。先祖から受け継いだ田畑を守り、真面目に働いてきた。何でこういう目に合わなくてはならないのか」という言葉を、今思い出しても涙が出る。東北と地続きの茨城県出身の私も悔しくてたまらない。

先週の「朝まで生テレビ」は、テーマは原発 だったが、原発を推進してきた石川廸夫氏は反省するどころか相変わらず推進の立場だ。経団連も同様。国益というが、金儲けと組織の利益のためにはなりふり構わない。人の命も家族、共同体の絆も切り捨てる。
先の戦争に至る歴史と変わらない。時代は移っても、そういう人たちに担がれた政治家が多数を占めているから、同じことが繰り返されるのだろう。


20年近く前になるか、近くの公民館の和室で、高木仁三郎さんの「反原発出前講座」を聞き、広瀬隆の本を読んだ私は、原発のある地域には住みたくないと強く思った。
子供が生まれてから、できるだけ農薬を使わず安全な野菜や食物を提供する団体から、宅配してもらっていた。
その団体が核燃料サイクル原発に反対の立場を打ち出し、署名用紙を配送の箱に入れると、消費者会員から安全な食品を欲しくて会員になったのであって、政治的なチラシはいらないと苦情が寄せられたという。原発に反対ということは左翼などのレッテルを張られ、いわゆる日本的「和」からはみ出てしまうのだ。そういう空気がなくならない限り、また同じ悲劇は繰り返されると思う。異論や疑問が言いあえる社会、おまかせ民主主義ではない社会に日本は転換できるだろうか。今変われなかったら、これから先どうなることか。