みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

66回目の原爆記念日

kawanomiti2011-08-06

 用事のついでに隣町のコインロッカー式の野菜販売所に寄った。いつも無人なのに、今日は農家の人が品物を入れに来ていた。
「おたくの葉生姜あまり辛くなくておいしい」といったら、40歳くらいの農家の男性は「まだ筋っぽくなってないしね」と、はにかんだような笑顔を見せた。
 黄色のまくわ瓜を見つけた。「あら珍しいもの置いてる。私の子供の頃はこのまくわ瓜が夏のおやつだったのよ」。百円玉入れてまくわ瓜を買う。「甘いメロンに慣れた今の若い人は買うかしら。」と笑うと、「おふくろが作ってみたいというから」。
 みずみずしい香りの葉生姜と茄子も買った。葉生姜は味噌をつけて食べるのが一番だが、塩分の取り過ぎになるので、今回は甘酢につけてはじかみ生姜といきましょう。

 今日は広島の原爆記念日。毎年マンネリ化している式典だが、ニュースによると今回は福島からの参加者や外国の特派員などの姿が見られた。式典では広島市長や菅総理脱原発表明もあった。

 福島原発事故で広島原爆の20倍もの放射能物質が飛散したという。その放射能物質の量と種類、全要はまだ明らかになっていない。15日前後の原子炉建屋の爆発は、東京にも屋内退避が必要な放射能物質が降ったといわれる。それを知らない私は、自転車で仕事に飛び回っていた。
 もしその事実が発表されたらどうしたろうか。不急な外出は避けて、どうしても行かなくてはならない場合はマスクをつけて出かけたろう。社会的にはパニックが起きていたかも知れない
 日本の原発は安全と、国も自治体も最悪の場合の想定と備え、避難訓練もしていなかった。パニックにならない方がおかしい。政権交代したばかりの民主党政権が右往左往するのは当然の成り行きだ。管総理のやり方は確かにおかしいところもある。できれば河野太郎総理の方が良かったが、でも経団連や東電の息のかかった自民党民主党の議員が総理であったら、脱原発自然エネルギーへの転換はかなり違うものになっていたかも知れない。また、原発推進の癒着構造も隠微されてしまっただろう。
 そういう意味で叩かれても叩かれても総理の座を投げ出さない菅さん、アピール力がないのがつらい所だが、ここまで粘ったのだから最後の踏ん張りを見せてくれ。

 夜はNHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」をみる。広島長崎への原爆投下に向けて、原爆投下爆撃機の動き、暗号が日本軍諜報部によって察知されていたとは。
 しかし、いずれも空襲警報は発令されなかった。広島原爆投下後、3日目、長崎原爆5時間前に察知されながら、特殊爆撃機が長崎上空に近づきつつある時、参謀本部はボツダム宣言受諾をめぐって紛糾していた。終戦時、 諜報担当者は、上層部が新型爆弾を原爆と承知していたこと、暗号で日本に爆撃に向かうのを察知していたことを隠すため、資料を焼却させられた。
 諜報担当者の無念。空襲警報もなく、無防備のまま原爆の犠牲になった20万ともいわれる市民たち。知らされていたら迎撃できたと悔しがる紫電改パイロット。都合の悪いことは隠す上層部に、「同じようなことがまた起きるのではないか」という言葉が重く心に残った。

 午後10時からはBSでまたもや原爆と放射能の特集。今日はそれでいい。