みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 お盆

kawanomiti2011-08-16

 お盆に田舎に行った。茨城の田舎は東京と同じくらい暑い。でも田んぼや林に囲まれているため、日が暮れると涼しくなる。ことに明け方は薄いかけ布団がほしいほどだ。
 実家ではお盆休みを利用して、物置の整理をしていた。亡くなった祖父の山高帽(写真)、祖母の教員時代の履歴書など珍しいものが出てきた。
 私の小学校時代の小遣い帳もあった。父が書かせたものだ。紙芝居見るのに5円、クリームパン10円、ろうせき2つで10円、バス賃10円。お年玉や親戚からもらうお駄賃は100円。支出や収入の項目から、忘れていた当時の生活や遊びが浮かんできた。祖父の山高帽は三越の丸い帽子用箱に入っていた。祖父も一時鼻の下に髭を生やしていたので、チャップリンの映画を思い出す。
 母と弟たちが揉めているのは、葬式用の黒の漆塗りのお膳とお椀一式、25組。今は使われていないので捨てたい弟と孫。母は「我が家の家宝だ」とまでいう。日本の漆塗のお椀は外国から見直されているので、ゴミに出すのはもったいない。オークションにかけたいところだが、葬式用ではどうだろう。


 15日の終戦特集番組、今年は何をやるか楽しみにしていた。
 NHKスペシャル「開戦70年」日本はなぜ無謀な戦争をしたのか  
 指導者たちの議論を証言や記録から再現しているところが新鮮だった。強硬な軍国主義者というイメージだった東条英機首相が意外や開戦にあたり優柔不断でリーダーシップを発揮できない。戦争しかないと国民の気分は盛り上がっているが、指導者たちが分析した結果、対米英戦で勝算はないのだから無理もない。結論先送りのままずるずると開戦になだれ込み、真珠湾奇襲で成果を上げる。早く戦線を縮小し、講和に持ち込むというシナリオを用意しながら、戦線拡大を止めることができなかった。
 私のように軍事の素人が見ても、太平洋戦争における海軍の戦線拡大は想定外、呆れてものも言えない。東京裁判では陸軍と東条英機に罪を背負わせ、海軍上層部は逃げ延びたが、海軍の上層部も陸軍上層部と同じかそれ以上に悪かった。無能な指導者たちのために前途のある若者や国民320万人がむだ死にした。
 と同時に福島原発事故に至る経緯と重なることに絶望的な気分になる。今こそ変わらなかったら日本人はまた同じ過ちを繰り返すだろう。

 日清、日露の戦争時は優秀な指導者・人間として芯のある軍人がいたのに、なぜ昭和の時代にこれほど劣化してしまったのか。どうしてこうなったのか知りたい。