みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

つかのまの涼

 涼しいと部屋の片づけが進む。火を使う料理をしたくなる。というわけで今日は身欠きニシンを煮た。生姜をきかして甘辛く、酢を大匙2杯入れたらとてもいい味になった。この他に冬瓜(とうがん)汁、真鱈のムニエル、蒸しパンも作った。
 昨日は自転車で友達の家に田舎の土産を持って行った。ゴーヤの緑のカーテンが窓全体を厚く覆い、友達はミシンで何やら縫っているところ。リサイクルセンターでもらってきた布で、風が通るノースリーブのシャツとショートパンツを幾つも作っている。知り合いにあげているそうで、私にもくれた。いいな、気心の知れた女の友達は。
 先週はあまりの暑さに、(あの36度の最高気温の日もエアコンつけないのだから暑いわけだ)。自分一人のために部屋全体を冷やすのが勿体ないし、気が引けて。部屋から出ずに裸同然で扇風機を回していたが、さすがにこれではいかんと、イト−ヨーカドーにアッパッパのようなものを探しに行ったら、すでに衣料コーナーは秋の季節に移行していた。「8月のお盆を境に秋物に入れ替ります」と店員にいわれた。

 読書もはかどる。江藤淳の「一族再会」、暑い時は複雑な家族関係図が頭にすっと入らずイライラしたが、今は書かれた言葉が胸にしみこむ。江藤淳が佐賀の血を引く人とは知らなかった。明治時代、薩長閥が支配する権力中枢からはじかれた人間は屈折した感情を抱えこまざるをえなかった。やはり佐賀県は九州の地だけあって海軍、兵器の備えが進んでいただけに、そのプライドがよけいそうさせたのだろう。
 我が郷土茨城県は自業自得とはいえ、明治政府に登用されるべき人材が枯渇していた。それはそれで悲しいことだとも思わないが。