みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

  「歌わせたい男たち」

 昨日は美智子皇后の77歳の誕生日、喜寿を迎えられた。新聞各紙に誕生日の会見記事(文書回答)が掲載されたのを読む。
 3・11を経て、美智子皇后がまた、精神的に一段と上に突き抜けられたなという感慨を持った。内容はなでしこジャパンから、ニュージーランド地震、「アラブの春」、亡くなったケニアマータイさん、非暴力で独裁に対して人権や平和のために活動をしてきて今年のノーベル平和賞に輝いたアフリカや中近東の3人の女性、冷泉布美子さん等など幅広く目配りし、それらの気の遠くなるような地道な努力に言及している。
 災害時における救援を始め、あらゆる支援に当たられた内外の人々、厳しい環境下、原発の現場で働かれる作業員を始めとし、・・・  と、上層部に対してよりも底辺で、日の当たらないところで活動している人たちへの感謝と支持をより強く感じたのは私だけだろうか。とりわけマスコミやテレビで取りこぼされている、「厳しい環境下原発の現場で働く作業員をはじめとして」という言葉に、並々ならぬ深い眼差しを感じた。W杯韓国と日本の対戦で、双方の応援団に感情的な反発が起きているところに、天皇が自分の母方の祖先は百済で、古くより朝鮮半島との交流があったというメッセージを発したように。

 けっして頑健な方ではなく、77歳ともなれば身体に不具合が出てくる頃、避難所で膝をついて座る姿も痛々しい。そこまでしないといけないの。皇后は「夕鶴」のつうのような人だなーとちょっぴり心配もしたり。もっと身体をいたわり、ご自分の時間を確保していただきたい。これまであなたの言葉、文章を木霊のように受け止めて振い立たせてきた一人としての願いである。


 永井愛 作・演出の「歌わせたい男たち」というお芝居が2005年ころに上映されて、賞をもらったという記事を見て、全然知らなくて見逃したのを残念に思っていた。最近、それが本になっているのを知り図書館で借りてきて読んだ。
 都立高校が舞台で、卒業式の日の朝、保健室から舞台は始まる。校長、ピアノの伴奏をやることになっている音楽教師、起立しない教師とのやりとりがリアルでおもしろい。校長はガチガチの「君が代」推進者ではない。起立しない教師はどちらかというとノンポリ、日本史を教えている教師として、「君が代」強制が見逃せない。音楽教師は採用されたばかりで何もわかっていない。クビにならないよう着実にピアノ伴奏しなくては、とあせるあまりの珍問答がユーモラス。都議会議員やら教育委員が続々と式場に到着、緊迫しているのに笑ってしまうが、笑いながら現実の教育現場の怖い一面が浮かび上がりぞっとする。

 胸をつかれたのは不起立の社会科教師が、元シャンソン歌手だった音楽教師に「シャンソンを歌ってほしい」と頼む場面がある。シャンソンが好きな社会科教師は、音楽教師とシャンソンの話をしたかった。そんな話をするのが楽しかった。「不起立」の話をすると、シャンソンの話をはじめ、日常的な会話さえできなくなってしまうから、彼女には「不起立」の話をしていなかった。

 私自身1990年前後、時事問題の講座で、「君が代」強制について素朴な疑問をいったら、会場の空気が異様に固まってしまった苦い経験がある。これが毎日顔を合わせる職場であったら、どんなにか辛く大変なことか。神経が細く、胃が痛くなる私には耐えられそうにない。
 反原発のため出前講座を行い、啓発活動を続けた高木仁三郎さんは、うつになってしまった。私は高木さんの話を聞いて、原発の怖さと危険を知り、原発の近くに絶対住まないようにしようと決めたが、それを人に広く知らせようとする努力はしなかった。

 「君が代」が戦前学校現場でどのような役割をはたしてきたか。今なお道具として使われる「君が代」の不幸。国歌が何であれ、強制される教育現場は異常である。
 最低限自分の身を守りながら周囲ともあつれきを起こさずに問題提起をする。そんなうまい方法はないだろうか。と軟弱な私は考える。そういう意味ではこの「歌わせたい男たち」は、喜劇としてユーモラスに、教育現場の現実を知らしめて素晴らしい。シャンソン暗い日曜日」も聞きたいし、舞台で観たいものだ。再再演はないのだろうか。

 そういえばマルセ太郎という映画の語りをする天才芸人がいて、彼のおはこ「君が代」はおもしろかった。どんな話をするのかとライブを監視に来ていた右翼まで腹を抱えて笑ったという。
 その下敷きは映画「パリは燃えているか」だったか。戦争が終わり、ナチスに占領されていたパリが解放される。フランスの軍隊が凱旋門に意気揚揚とパレードを進める。すると道の両側に詰めかけた群衆から歓呼の声と娘たちの投げキス、期せずしてフランス国歌ラ・マルセイエーズが湧き上がる。「君が代」だとこうはいきません。あれは号令かけないと歌えない歌です。国歌は当分の間、東京音頭がいいんじゃないでしょうか。まー大体こんな調子だったか、彼の巧みな話芸に大いに笑った。人間どうにもならない悲しい状況では、笑わなきゃやってられない。

 本の最後に作者のことばがある。ロンドンの芸術監督から、「これはいったい何十年前の話ですか」と聞かれたという。日本では先生が国歌を歌わないと罰を受けると、海外のメディアが≪仰天ニュース≫として伝えたという話が紹介されている。今度の福島原発事故で露わになった、地震国日本になんで54基もの原発を作ってしまったの。あれほどの事故を起こしてなぜ止められないの。という不思議さとつながっているってこと。