みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

  「郷土史」に熱中

 9月の電気代請求書がきた。使用料125KWh 2776円也。昨年度と比べ15パーセント減少しています。とのコメントがついていた。やった!
 私の場合、暖房がオイルヒーターのため、冬の方が電気代が高い。しかし、安保先生提唱の爪モミを朝晩やっていると身体がぽかぽかして、朝起きると掛け布団が邪魔なほど。この分だと冬の電気代も削減できるかも。
 昨日から福島原発の2号炉が再臨界が起きたか否か、ニュースとして取り上げられているが、いつ起きても不思議ではない。それなのに収束の工程表を急がせ、他の原発を再稼働させる魂胆だ。稼働すれば放射性ゴミは増えるばかり。原発輸出も腹が立つ。お金のためなら人の命、未来に生きる者のことを無視する、その根性にあきれる。そういう人たちが国会議員になり、経済界を仕切っているということに空しさを感じる。
 岩手県の瓦礫ゴミの一部を先陣切って東京都が受け入れたこと。放射線量をはかり、ホームページで公表するとした。石原氏の指導力、こういう場合は評価したい。
 秋の叙勲というの、政治家がもらうのとか変だと思うけど、今日河野洋平さんが何とかいう勲章もらって、NHKのインタビューに答えていた。戦争体験のない政治家が増えている。歴史を知っているかどうか心配だという内容の話をしていた。(本当に。知らないし勉強しようともしないのではないか)。

 
 糠漬けは今、カブがおいしい。秋は林檎、ミカン、柿という庶民的な果物が出てきて、果物好きな私にはありがたい。食欲もあり体調もまあまあだ。
 もっぱら歴史書郷土史〉を読むのに追われている。戦前に書かれた本は字が小さく、漢字やカナが古い字体だったりして読み難く、なかなか進まない。こんなにおもしろいのだからもっと若いうちから読んでおけばよかった。今、読んでいるのは富村登著『水海道郷土史談』前篇は昭和十年に発行されている。
「序」から抜粋
 國史を知ることは国民思想安定の基礎ではあるが、之を知ることは容易ではない。宮廷や幕府を中心として描き出された國史は、一般國民から縁遠いものに思われ、青少年にとっては親しみ易からざる科目である。併しながら歴史は必ずしも京都や、鎌倉や、江戸に限られたものではない。

 郷土の歴史を知って、國史は始めて我に親しきものとなるのであって、郷土史は実に國史に入るの門といふことができる。父祖の辛苦を知って我身の自重すべきを覚ると同じく、郷土史、國史の教ふる所によって自己も亦史中の人物であることを知るならば、其の向かふ所は明らかになるであらう。

 昭和10年といえば、日中戦争が泥沼化し、すべてが戦争へと国民総動員の号令がかかりはじめた頃。著者富沢登水海道市(現在は常総市)の町医者であるが、診察開業しながら郷土の文献・資料を集め研究していた。また、彼の研究を郷土の人士が支え、発表を心待ちにしているのが、かつて水上交通の要所として栄えた水海道という町の経済・文化・人士交流の豊饒さを感じさせる。