みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 NHKスペシャル 太平洋絶望の戦場

 


 西表島に住む妹がトーガン、島バナナ、パッションフルーツ、パパイアを送ってくれた。トーガンの半分と、茸、木耳、春雨を入れて、鍋いっぱい汁ものを作る。明日は寒くなるそうだから、とろみをつけて温まろう。
 
 日曜日の夜は、八時から「坂の上の雲」があったが、その後のNHKスペシャル証言記録 日本人の戦争第二回「太平洋絶望の戦場」をみた。
兵隊体験者がどんどん少なくなる中、番組製作者も、取材される側も一期一会の最後の証言になることを予感してか静かな迫力。証言の言葉に、今だに生き残ったことに責めさいなまれていることに何度も涙する。人肉食、共喰いという恐ろしい言葉が、すんなりと納得できる絶望的状況。日本人と限らず、だれにも起こりうることである。おそらく神はそれを許すだろう。

 前日の土曜日は、「戦争終結と陸軍 戦争‘継続”で一枚岩だったのか」という、歴史研究者の講演を聞きにいった。
 物資も食料も、飛行機も船も弾薬も、燃料もなくなったのに、なぜ戦争終結が遅れたのか。そこを知りたかった。

 陸軍は戦争継続一辺倒というイメージだったが、実際はそうではなかった。早期講和派と主戦派、その間で揺れ動く中間派がいた。
 昭和18年位から戦況が不利になるにつれ、陸軍の中で終戦に向けて対立、駆け引きが活発化するが、主戦派への配慮、面子からずるずると終戦の時期決断は先に延びた。絶望的な戦況を知らない昭和天皇が、講和を有利にするため、もう一旗戦果をあげてからと躊躇していたこともある。


 夜布団の中で、NHKが司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」に続いて、日本人の戦争第二回「太平洋絶望の戦場」を組んだ意味を考えた。司馬遼太郎は著書『「昭和」という国家』 (1998年3月発行NHK出版)で、昭和十年から昭和二十年までを「魔の十年」といっている。統帥機関つまり参謀本部が日本を支配した。日露戦争時と同じ考え方、作戦、古ぼけた兵器で「北を取る、南を取る」とやりたい放題にとんでもないことをやってしまった。日露戦争に勝ったことで、その後に帝国主義的な国に変質してしまったと書いている。司馬遼太郎は昭和のことをどうしても書きたいと念じながら書けない。それで『「昭和」という国家』という問わず語り形式の著書になったのである。

 司馬さんのいう昭和十年からの魔の十年間は、確かに魔法にかかっていたとしか言いようがないが、統帥権は今はないから安心というわけにはいかない。それを許した日本の体質は変わっていないからだ。