うそ鳥の鳴く里
今年のゴールデンウイークは天候不順のため、ぎりぎりまで予定が立たなかった。
といっても行く先は郷里の茨城県、予報が外れ、小雨降る肌寒い日に行くはめになる。叔父、従弟と会い、両親、弟夫婦、甥たちと大人数で夕食のテーブルを囲む。弟のヨメさんが揚げてくれた地元の筍の天ぷら、かき揚が格別だ。私の持参した糠漬けも含めて、山盛りのごちそうがきれいになくなる。
翌朝目覚めたら窓のガラス越しにケヤキや桜の若葉が日の光を浴びて輝いていた。
カメラを持ち、新田方面に向かう。田圃は田植えが済んだところと、耕運機が入って田植え最中のところと半々だ。飯沼三千町歩といわれる田は区画整理され、美しい田圃の模様は地元の紬の絣のデザインに活かされているというのもうなづける。東仁連側の水辺は菜の花の黄色で彩られ、田の畔には紫色の藤の花が満開。うぐいすがひっきりなしに鳴いている。
親戚の農家に寄り、200年以上前の長屋門を写真に収める。昨年の大地震では無事だったのに、車をぶつけたとかで少しかしいでいる。ここではきぃきぃという哀調を帯びた鳥の鳴き声がする。親戚のオバサンと「雉(キジ)かね」と話す。
家に帰って母にいうと「雉は昼はこの辺に来ないから、うそ鳥だよ」。「うそ鳥? そんな鳥がいるの」すると母は、長塚節の「我がさとは櫟(くぬぎ)林にたゆたえる春うながしてうそ鳥の鳴く」という短歌を諳んじてみせる。渡り鳥で冬はこの辺りにも来る。梅や桜の蕾をついばむが害虫も食べてくれるという。
帰京する直前に弟のヨメさんとため池まで散歩する。冬コハクチョウが飛来するという場所を教えるといわれていた。少し距離があるが、いかにも白鳥がきそうな静かな場所だった。今回の帰省は資料館で、思いがけなく貴重な文献に出会えたり、両親も元気に過ごしており、楽しい一泊二日だった。両親はちょくちょく泊りがけできてほしいというが、やることがたくさんありそうもいかない。
最近見たテレビで良かったのはETV特集「世界は福島原発事故をどう見たのか」。
読んだ本では「タブーの正体」川端幹人著、読んでいて恐くなった。新聞・テレビ、身近な情報の媒体が、真実を伝えてくれないなら国民はどうしたらよいのか。私は新聞テレビ以外にインターネットなどメジャーではない情報も得るようにしているが。
私はこの時代の逃げ越な敵だ
日々苛烈に地球を覆う、組織の利益のためすべてを消し去る顏なき圧政
地球的、抽象的な圧政に、私は逃げ腰で対立する
(ジャン=リュック・ゴダール)
川端幹人はゴダールの言葉に重ねて、自分は「へっぴり腰の闘い」をもう一度始めてみたいと思っている、と記す。私は臆病な人間で川端さんのように頑張れる自信はないが、臆病者なりにタブーに近づきたい、見てみたいという願望はある。