みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 新聞テレビを見ない幸福

 田舎からメロンが五個入った箱が届いたすぐ後に、今度は西表島の妹から大きな箱いっぱいパイナップル、パパイア、パッションフルーツ、野菜が届く。有難いが何で重なるのだ。トロピカルな香りが漂い幸せなはずなのに、冷蔵庫はいっぱいだし困ってしまった。友達を呼んで少し持っていってもらったが、好みや家族構成、精神的負担感のありなしなど、他人に物をあげるということはそう簡単ではない。だから気軽にあげたりもらったりできる関係は貴重ということになる。

  6月16日午後6時から成城ホールで「資源エネルギー活用促進・世田谷シンポジウム」というのがあった。
 資源エネルギー庁新エネルギー対策課再生可能エネルギー推進室の担当者による講演「これから始める固定価格買取制度とはなにか」に続いて、「自然エネルギー促進に向けた取り組み」についてパネルディスカッション
  長野県飯田市長―牧野 光朗、認定NPO法人環境エネルギー政策研究所主席研究員―松原 弘直、株式会社富士通総研主任研究員―高橋 洋、【コーディネーター】保坂 展人区長
  いつもツィッターで追っかけしている飯田哲也さんが出るので申し込んだが、直前になり飯田さんが山口知事選挙に出馬が決まった。案の定シンポジウムは欠席、代わりに同じNPO組織の主席研究員が登壇した。居眠りしなきゃいいけど、と心配したが、どうしてどうして。各人のパソコンを駆使した発表がわかりやすく、今までぴんとこなかった再生エネルギーや買い取り制度のことがだいぶわかった。
  こちらは賃貸で太陽光パネルも取り付けできないし、負担ばかりが増えるのではないかと引いていたが、2年後には家庭でも電力会社を選べるようになるだろうという話。自然エネルギーの活用という多様な選択ができる社会というのは、風通しのよい希望のある社会の実現につながるということが、再生エネルギーを活かしたまちづくりの飯田町の実践や皆さんの話から十分伝わった。会場には若者の姿も見られ、元気と明るい希望をもらったシンポジウムだった。

 
 亡き祖母は読書など縁のない人だった。そんな祖母に「おばちゃんは学生時代どんな本を読んだの?」とたずねた時「蘆花」と答えた。「不如帰(ホトトギス)?」と蘆花の著書ではそれしか知らなかった私は、前時代的な物語だと思いながら、祖母とそれ以上本の話は進まなかった。もしかしたら、祖母はもっと蘆花の本を読んでいたかもしれないと気になっていた。
 丁度梅雨の晴れ間に、日大史学科まで江戸時代の史料を見に行ったついでに、蘆花公園に寄った。思っていた以上に広い公園で、蘆花の住まいである「蘆花記念館」を探すのに自転車でぐるぐる回った。徳冨蘆花は兄蘇峰の影響を受けつつ、蘇峰とは異なる道を選んだ。トルストイに傾倒し、大逆事件を怒り、死刑判決に抗議をしている。天皇や皇室を敬愛し、保守的な考え方の持ち主だった祖母が、蘆花をどこまで理解していたのかわからない。
 櫟林の木のベンチが空いていたので、そこに腰を下ろして小休憩、おやつを食べる。どこからともなく尺八の音色が流れてきた。それがすばらしい演奏なのでだれか音響機器を鳴らしているのかと思ったら、木立の向こうのあずまやで背中を見せている男性が演奏しているようだ。蘆花の愛した櫟の林に尺八の音色がのびやかに溶け込んでいる。しばし演奏に聴き惚れ至福の時を過ごした。その余韻は今も続いている。