みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 最低の礼儀

 今年は昨年より暑いような気がする。ベランダにヤカンを置いておくと、温水になる。先月のガス代が2千円内に納まったのには驚いた。

 お盆に田舎に行ったが、両親とも元気だった。92歳の父は一緒に田圃道を歩き、坂道も上がる。杖は持っているが、歩くスピードが速い。以前は私が追いつくのが大変だったが、今はちょうどよい速さになった。弟も私も病気持ちだから、両親より先に逝きそうだ。父は死ぬ時は老衰で自然に枯れるように最後を迎えそうな気がする。
 父は昭和16年、兵隊検査で初期の肺結核が見つかり、即日帰郷となった。多くの人から餞別をもらい、歓呼の声に送られて行ったのに、外聞悪くて家で布団かぶって寝ていたという。周囲の同年輩は戦地に行き戦死しているから、戦時中は肩身が狭かったのではあるまいか。その分戦後の開放感は何ものにもかえがたかったことだろう。肺結核は自然に治癒したようだ。両親は三世代同居で、まず孤独死の心配はない。まあ運の良い人生と言えるかもしれない。

昨日は22時からETV特集原発作業員についてなので、態勢を整えてテレビの前に坐った。原発作業員に若い人が多いのに驚いた。それも福島県の人が6割も占める。他に仕事がないから原発で働かざるを得ないということもわかった。被爆線量が限度を超えると働けなくなる。そうなったら仕事は、生活は、健康はどうなるのか。それが彼らの一番の心配だ。一番過酷な仕事を下請けにさせて、働けなくなったら使い捨て?


 作業員の健康管理と労働条件の改善、働けなくなった時の保障は最低の礼儀である。
 脱原発派の原発反対理由の一つは、原発被爆覚悟の作業員を必要とするからだ、少なくとも私は。経済産業省パブリックコメントにも、原発作業員の労働条件や待遇の改善を進言したが、これは国会で取り上げたり、新聞社や労働運動関係者などが公的に提起すべきことではないか。原発収束工程表には原発作業員の確保や養成はどういう位置づけになっているのか気になる。