独裁者という名の怪物
9月28日深夜 朝まで生テレビ をみる。
「原発ゼロ社会の検証」 脱原発ゼロ派と維持派の対立は、コスト、経済性、安全面、放射能汚染と被害…などからきちんと議論すると、維持派の旗色は悪いのが一目瞭然。それでも池田信夫氏のように発言が矛盾していても意地で抗弁したがる人もいて、いつもながら「朝生」はもっと問題点を整理しながら、重要なポイントに絞って議論してほしかった。
せっかくの長時間討論番組で、メンバーも事故調査委員会の委員や、飯田哲也氏、福山前官房長官、福島県から駆けつけて来た人がいるのだから。
朝生のCMの時間にNHKに回したら、ザ・プロファィラー「ヒトラー 独裁者という名の怪物」をやっていて、少ししか見られなかったが面白い内容だった。ナチスやヒットラーの罪業については若い頃に本、映画などで沢山みた。
しかし現在の日本と照らし合わせると、大衆のネガチブな意識を代弁し閉塞感や鬱屈を発散させてくれる独裁者への渇望というものが共通していて、それはそれで恐い。
ヒットラーの演説のパターンはそれまでの政権への批判、当時のドイツ国内の富裕なユダヤ人社会への攻撃、排撃を主張する。純粋なるアーリア人の血の優越性。それらを繰り返し熱く語りかける。
しかしながらヒットラーの演説に陶酔し感涙したドイツ国民は、そのつけを払わされる。権力を掌握したヒットラーはユダヤ人ばかりでなく、国内の反対勢力、障害者などを迫害弾圧する。ドイツ国民は第二次世界大戦の敗戦を経て、ユダヤ人大量虐殺の事実を知り生まれ変わる。国土を東西に分断されたドイツ、ベルリンの壁が壊れた時の衝撃を懐かしく思い出す。国としてきちんと過去の歴史に向き合い、謝罪し罪を償う。その姿勢がユダヤ人の心を動かし、良好な関係を結び、世界から尊敬される国になった。過去の歴史にきちんと向き合わない国の末路は…
再放送で全部みたい。