みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 秋深まり隣は

 緑の芝生に彼岸花の赤がまぶしい。木犀の蕾が開き始めている。開花の瞬間が最も良い香りなのは夕顔も木犀も同じ。その瞬間を見逃せない。

 祖父の足跡をたどる旅。戦前の小学校長だった祖父は途中から奏任待遇になったようだが、この「奏任待遇」とはどういうものか、そうではない校長とどういう違いがあるのか、調べても今イチわからない。
 夏目漱石の『坊ちゃん』を読むと、学校には宿直があり、教員が交代で学校に泊まることになっているが、狸(校長)と赤シャツ(教頭)は奏任待遇だから例外でやらない。と坊ちゃんが憤慨している。
 昭和20年を境に社会の仕組みがガラリと変わり、戦前の制度のことはわからないことばかり。『坊ちゃん』をだいぶ前に読んだ時もおもしろかったが、戦前の学校制度、師範学校のことを理解してから読むと、坊ちゃんの会話の意味や何で怒っているのかがわかり、さらにおもしろく読める。
 
 尖閣諸島の問題は簡単にかたづきそうもない。地図で見ると、距離的に台湾、中国にかなり近い。長い歴史で見れば、沖縄も含めて周辺の人々は国に関係なく、漁をしたり、漂着したりして島は身近な存在だったのだろう。 だからそれぞれが我が領土だと譲らないのや、世界中で領土問題がすんなり解決しないのは仕方がないのだ。と凡人である私は様子を眺めるしかない。
 ところがツイッターをたどるうちに興味深いサイトに行きついた。「尖閣騒動――頂門の一針」明治時代からの国と国の交渉の記録が残っているのだ。領土問題は強硬に押し切りこじれれば戦争になるということはわかっているから、知恵を働かして穏便に先送りしたわけだ。戦後の国交回復の時も何が大切か、優先させるのは何か、でぎりぎりの選択をしてきた。
 
 昔の政治家や首相は大人が多かったのだな。今は政治家やリーダーが子供じみて感じるのは、私が歳をとったからか。
 地球の歴史から見れば中国大陸と日本はつながっていたわけだ。何万年後かにはハワイが日本列島にくっつき、中国を含めて一つの大陸になるそうだ。その頃人類は生き残っているかどうかわからないが、後の世の人は、昔はそんなことしていたんだなと苦笑するだろうな。