みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 歩道橋 余話 

 世田谷区喜多見6丁目の歩道橋がなくなったことがうれしくて、都の道路建設事務所の世田谷担当工区にお礼を言っておこうと電話した。2006年に現地で図面を片手に説明してくれた担当者は7年前のことだからもういないかもしれないが、あの時、担当者として問題点と改善の道筋をていねいに説明してくれなかったら、苦情だけで終わっていたかもしれない。意見交換の中で、改善できないネックが何であるかがわかったことが「都知事への提言」につながった。
 電話に出た男性に経緯を簡単に説明し、歩道と空が広くなり、付近の住民も喜んでいたことを伝えた。電話に出た男性は事務的な受け応えではなく、声がうれしそうで人間的な感じがした。そりゃ役所だってどこだってやったことが評価され、感謝されるのは悪い気はしないし、特に現場の人間にとっては仕事の励みになるはず。と単純型人間の私は確信する。
 
 それにしても「都知事への提言」を募集した都庁では、提言を出した私に対して直接返答がなかったな。内閣が公募するパブコメでは一応、無味乾燥ではあるが「御意見ありがとうございました」とか、自動的に返信が来るが。さすが上から目線の都知事だ(笑)。
 成城警察署の交通課長から電話がかかってきた時、「何で警察から?」ときょとんとしたが、都から「都知事への提言」と資料のコピーが送られてきて、それに地元警察と、自治体、都と連携してやるようにと書いてあったので…という電話の内容に、やっと頭の中がつながった。
 
 今から20数年前に東京都を流れる野川に興味を持ち、下流の世田谷区から源流がある国分寺まで約20キロメートルの野川をたどったことがある。本来は国分寺崖線の湧水を集めて流れる野川であったが、開発と都市化の波にあらわれ、昔のおもかげは消えつつあった。それでも上流の国分寺、小金井の市民グループが行政と連携しながら野川に清流を取り戻す運動を地道に積み重ね、どぶ川と化した野川の水質はかなり改善したことを知った。
 
 その野川沿いの路をやはり通勤に使っていたので、往復するうちに中流調布市の野川に面した武蔵野市場下の排水口辺は、川の水の色が変色し濁っているのが気になった。また市場内の発砲スチロ−ルの箱が風にあおられて野川に散乱していた。その現場の写真をコンパクトカメラで撮り、野川の環境グループのリーダー格のYさんに「調布市武蔵野市場下の野川がワーストワンだ」と話したところ、見たあなたが、担当課にいってください。そのさい自分の名前、連絡先をきちんと書いて、匿名ではなくリスクを負うことで役所は動いてくれるといわれた。自分の名前を出すことに躊躇するものがあったが、Yさんのいうことはもっともであり、Yさん自身都庁の職員として定年まで勤めた人だからこそ、説得力があった。

 さっそく調布市の下水道課に現場の写真を同封し郵送した。間もなく下水道課の職員から、写真を受け取ったので、現場を調査ししかるべき処置を取るという連絡が入る。そして市場と交渉し、今まで野川の排水口に排水を流していたのを、付け替え工事をして野川に流さないようにすると約束してくれたことを報告してくれた。それから武蔵野市場下の野川はきれいになった。調布市役所の対応はむだがなく適切で、私はYさんのアドバイスが正しかったことを知った。
 
 野川は全長たった20キロメートルの都内を流れる川だが、源流の国分寺から下流の世田谷区まで、流域を幾つもの自治体が関係し、自治体ごとに川への対応がばらばらで異なっていた。流域の市民が野川に関心を持ち、活動し係わりを持っているところでは野川はきれいで開放的であった。ところが野川を危険であるからと市民から遠ざけ、高いフェンスで囲っている自治体ではごみの不法投棄に苦労していた。そんなことがあって流域自治体行政と市民が一同に会し、「野川は一本」という合言葉で野川サミットが開かれた。野川の高いフェンスは撤去され、自由に水辺に降りられるようになった。

 その後小金井市のYさんや市民グループの人たちと交流するうち、役所に対して要望するときは、感情でいうのではなくデーダーを出すこと、写真や具体的な事実の記録が有効であることなど…を学んだのである。
  写真は現在の野川中流