みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 沖縄慰霊の日に

NHKのお昼のニュース、戦後68年目の沖縄慰霊の日の式典や催しが伝えられた。
「尊い犠牲者の冥福を祈って…」というアナウンサーの常套句にウンザリし、怒りを覚えたのは、たまたま本土決戦の史料を読んでいる最中のせいかもしれない。

 身内の一人(叔父)が昭和20年7月、20歳の夏に本土決戦のため根こそぎ動員により召集されたことを知った。
行く先を知らされず、外界が見えない貨車に乗せられ着いた所は千葉県の九十九里浜。
敗戦は必至の状況下、食料も、武器さえも乏しい中である。
二十才の叔父は米軍が上陸してきたら、爆弾を抱えて米軍の戦車の下にもぐりこむ肉薄攻撃の訓練をさせられた。
九十九里浜は遠浅であり、その沖合は艦船の航行や海岸への接近は容易であることから、大兵団の上陸に適していると軍は判断していた。
栄養失調の上に過酷な訓練に、叔父は後一週間終戦が遅れたら命はなかったと振り返る。

昭和19年10月レイテ決戦に敗れた後、大本営はアメリカ軍が台湾から沖縄へ、そして南九州へと侵攻してくるだろうと予想していた。
昭和20年4月、硫黄島が敗北になる頃に本土決戦に備えて部隊を再編成していく。
長野県松代市には松代大本営と天皇の御座所などが密かに建設中だった。昭和20年4月本土決戦の根幹が定まった。
「作戦は連続不断の攻勢。戦法は航空機全機特攻、水上、水中、すべて特攻。戦車に対して特攻…」というまさに一億総特攻である。

…この本土決戦準備を十全にするために「時間」が必要であり、硫黄島(2月から)、沖縄(4月から)の日本軍守備隊は徹底的に戦って「時間稼ぎを」をするよう命じられていたのだ。沖縄の住民はそのために犠牲になり、やがて南九州もまた「東京」を守るために「時間稼ぎ」になる運命だった。(『本土決戦幻想』保阪正康著)

大本営は各新聞に6月10日から13日まで「国民抗戦必携」を掲載するように命じている。
「銃や剣だけではなく、刀、槍、竹槍から鎌、ナタ、玄能、出刃包丁、鳶口まですべて武器になるといい、こうした兵器を持って長身のアメリカ兵を襲い、その腹部を目がけて突き刺せというのである。…一人一殺、アメリカ兵を殺せ、…」と白兵戦の内容を伝えている。

日本の敗勢が加速度的に増えるにつれ、新聞などメディアは「米英の残虐」を強調し、鬼畜米英は進駐したら日本皆殺しを狙う。何がなんでも滅ぼせと煽っていた。「子どもは親の手から離され去勢される。妻や娘は老若を問わず、すべて米兵に暴行を加えられたあげく、最後に悪質の病毒を感染させられ廃人にさせられる」という内容だ。(昭和19年8月8日の読売新聞)

沖縄戦は本土を守るため持久戦を強いられたのであり、米軍が上陸し、鉄の暴風といわれるほどの爆撃、火炎放射器を持ち迫ってくる中で、追い詰められた住民は集団自決に至ったのである。今なお沖縄は本土の平和維持のため、犠牲にされている。

NHKの定時ニュースはこれら経緯に触れずに「尊い犠牲者…」で済ませてしまう。
世の中の大部分の人は定時ニュースを見るのが精いっぱい、掘り下げたドキュメンタリー番組やクロ−ズアップ現代も見ない。
戦争が風化するのは当然である。沖縄のためにも、私たちが真実を知るためにもNHKの定時ニュースは現実をきちんと伝えてほしい。

「本土決戦」「一億玉砕」は荒唐無稽過ぎて、単なるスローガンだと思っていた。
私は学校の社会の授業で習った覚えがないし、本当に進められていた事を知った時は愕然とした。
その内実はどこまで明らかにされたのか。