みち草

2004年からはてなぶろぐを書いています。このぶろぐでは日常の身辺雑記中心に書きます。

 「地域で」 というけれど

 あっという間に7月も今日で終わり。読むべき本が積読、津田さんのメルマガ「メディアの現場」も全部読み切れない。神保・宮台・ドットコムはなおのこと、聴いてる時間がない。少し値上げしてもいいから、文字起こしを読みたい。

 山口県の過疎の村の殺人事件が気になる。十何人の集落でコミニュケーションが取れず孤立している人がいるという状態はかなりヤバイ。私が子どもの頃、祖父が地区の区長をしていた時、村八分の家というのがあった。そこそこ金持ちだったが、ケチだと聞いた。
 家の裏の崖路で、子どもらが賑やかに遊んでいた時、そこの家の小学校低学年らしい男子二人が立って、こちらをじっと見ていた。たぶん一緒に遊びたかったのだろう。その光景が忘れられない。どういう事情があったのかわからないが、祖父は困っていたようだった。その一家は引っ越していなくなった。

 都会でも地域のコミュニティづくりは難しい。自治会の会合でいい大人が、寛容さのないケンカ腰の非難をする。当番とか一斉清掃など、最低限の活動はするが、役員などは断りたい。
 人は孤立していると、どうしてもネガティブな感情に陥りやすい。私の住む鉄筋長屋にもそういう人がいる。当番をしないが文句はいう。「みんなからいじめられている」と言って歩く。隣の部屋の人が、その彼女から一方的に恨まれ、ののしられているので気の毒だ。被害妄想としか思えない。隣の彼女と相談して、息子さんに連絡を取り「お母さんがさびしそうだから、時々来てあげて」と頼むことになったが、「息子によけいな入れ知恵をした」と逆恨み。息子さんも手を焼いて困っているので、追い詰めることにならなければいいが。

 6月、田舎で広い豪邸で独リ暮らしをしていた老女が、孤独死しているのが、1カ月位して発見された。経済的に恵まれていたが、近所といっさい付き合わず、やはり被害妄想の行動がみられた。
 いずれの場合も精神的な病の領域に入り、近隣の住民の手に余る。精神保健師などの専門家を入れて役所を巻き込んでやるしかない。